「未来・将来への絶望感」
うちで教えていた保護世帯の女子小学生は、たよりない母親だったが、それを助け家事から母親の身の回りのことまで手伝っていた。他の子どもたちにくらべて、段違いに生活力があり、考えは痛々しいほど大人であった。彼女は小学校4年のとき「いじめ」により不登校となり、さらに震災で自宅は全壊、仮設住宅で息をひそめて暮らしていた。さらにつらいことに職を失った父親は酒におぼれ、母親に暴力をふるうようになる。夜逃げ同然に母娘は他人の家を転々とした。はじめて彼女に出会ったときのその悲しそうなおびえた目を忘れることはできない。
母親は、学校に行かず家にひきこもっている彼女が心配で、フリースクールを訪ね、入会金や学費はすこしずつ分割で払うからと入会を強く希望した。保護者の負担で運営しているフリースクールでは、無償で子どもを預かることはできない。しかし、もともと「いじめ」や「体罰」などの被害をうけた子どもたちのシェルターをつくろうと創設したフリースクールの趣旨から考えると、「この子を守らないと、だれが守るというのだ」と判断し、特別に入会を認めた。父親が離婚に同意せず、なかなか生活保護を受けることができないんだとも聞いた。それから1年半彼女はフリースクールに通い、すっかり元気をとりもどした。しかし、母親からは一銭も入金されることがなかった。
そして小学校を卒業する直前になって、姿が見えなくなった。電話も通じなくなった。しばらくは彼女がどうしているのだろうとスタッフらも心配していたが、7〜8年も経つと名前さえ忘れかけていた。その彼女が神戸の港の倉庫で働いているといううわさを聞いて、会いにでかけた。去年の暮れのこと、彼女は21歳になっていた。
中学を卒業するとすぐに就職したそうである。高校へ行かない理由を聞くと、「1日でも早く働いて自分のお金がほしかった。」「高校なんて考えたことなかった。」「絶望しかなかったんよ。」と話した。「よう生きとったなあ。」と笑いあった。しかし、いまごろになって通信高校を考えていると言う。友だちにすすめられて看護士になりたいと思うようになったらしい。本気だったら手伝うよとボクは進学をすすめた。ボクが「勉強に適齢期はないよ。」「やろうと思ったそのときが、スタートなんやで」と話した言葉に大きく肯いていた。
この彼女のように、生活保護家庭の少年少女は少なからず絶望感を抱いている。彼ら彼女らを支援するということは、勉強だけでなく全人格的な支援が必要だろうと思う