精神科医高岡健先生がコラム(下記)で、橋下氏の率いる大阪維新の会に対し、また最近白紙撤回した「家庭教育条例」について手厳しい批判をされておられる。高岡先生は児童心理の専門で、発達障害の正しい理解のために尽力されている。フリースクールにも講演の講師にきていただいたことがあります。物腰の柔らかな、平易な説明で素人にもわかりやすく話してくださいます。ステキな先生です。
〈高岡先生のコラムより抜粋〉
大阪維新の会市議団は「家庭教育支援条例案」の議員提案を予定していたが、公表から1週間も経たないうちに白紙撤回へ追い込まれた。橋下徹自身でさえ、「発達障害の子どもを抱えているお母さんに愛情欠如と宣言するに等しい」と苦言を呈していたというから、当然の結末といってよい。
そもそも橋下は何らかの思想や定見を持っているわけはなく、自らがブレインから聞きかじった政策を観測気球として揚げるか、彼と結びつきたい勢力に気球を揚げさせ、それに対する世論の反応を見て、政策の推進もしくは撤回を決めるという手法をとっている。今回の条例案をめぐる動きも、その一つといっていいだろう。
▼大阪を中心とする各団体の批判は、とりわけ条例案の次のような箇所に集中していた。すなわち、第15条の「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる」という箇所だ。間違った子育ての結果が発達障害をもたらすという説は、とうの昔に否定されているから、各団体や個人が「学術的根拠のない論理」「ニセ科学」「発達障害に対する偏見を増幅しかねない」と抗議したのも当然だ。
▼だが、白紙撤回によって問題が収束したかというとそうではない。市議団幹事長が、条文について「ある県で議論された案を参考として議員に配っただけで、我々の案ではない」と釈明しているからだ。また、条例案で用いられていた「親学」という言葉は、超党派議連の「親学推進議員連盟」(安部晋三会長)と、歩調を共にするものだからだ。つまり、大阪で撤回されても、他県(埼玉県であろう)や国のレベルでは予断を許さないということにほかならない。
だが、「伝統的子育て」などというものは、世界中のどの歴史段階においても存在した事実はない。唯一、冷戦期のアメリカで生まれたホームドラマの世界で、強い父親と優しい母親に囲まれすくすくと育つ子どもといった、架空の伝統が導入されようとしただけだ(S・クーンツ『家族という神話』)。そして、「名犬ラッシー」や「奥さまは魔女」に代表されるホームドラマの世界は、それを演じることのできない人々を病気に仕立て上げた。一方、日本においては、どの時代にも存在しなかった父性や母性を喧伝するために、「親学推進協会」にも名を連ねるユング派心理学者が、八甲田山雪中行軍の徳島大尉(モデルは福島泰蔵大尉)を理想像として持ち出した。
さらに詳しい内容は以下のHPを参照ください。
われわれ市民がさわぐだけでなく、専門家がきちんと批判してくださることが大切ですね。いろんなアドバルーンを揚げては、市民の顔色をうかがい、その反応で動くという大阪の危なっかしいやり方からは目がはなせませんね。
http://www.kirara-s.co.jp/kirara/column2.aspx?Return=column_ichiran2.aspx%3FPage%3D1%40AuthorNo%3D3%2CA&ColumnNo=175