図は2013年夏、日本からの訪問歓迎時の自宅の応接室兼寝室で食事、中が楊福春君、右が父、左は日本から視察の娘さん。
楊君は内蒙大学法学部(日本の東大法)を卒業後、兵庫県大経済学研究科でふるさとの主産業である畜産業の振興をテーマとして、実家や地域の畜産業を実例に研究し、「農林牧の複合経営」というテーマで修士号を取得した。2012年4月、さらに畜産業を研究するために神戸大学農学研究科博士課程へ進学した。この進学と同時に、楊君の実家の父と兄が楊君の薦めとGBAの援助で牛30頭規模から複合経営へ乗りだした。
だが1年を経た2013年3月、実家ですすむ複合経営の実験・実践をみながら、みずから畜産業に携わりながら畜産や地域経済振興の研究をしようと決意、博士過程を中退して故郷へ戻った。大学を出て外国の大学院にまで行って、村へ戻ってくるなんて、常識外だ、実際、内蒙で2人目だった。日本でも蛍の光の歌詞にある、「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」とは、田舎の故郷を出て都会で学び働き、出世して、故郷に錦を飾ることですね。