図は新居前の楊君、赤ちゃんをあやす奥さん、近藤先生。
彼女はホルチン沙地の別の村出身、実家には両親2人が残るだけで、親戚等、全部が街へ出てしまった、彼女も大学から神戸大学の人間発達学部の修士課程へ進学、楊君と出会ったのだ。伺うと、牧畜は好きでなかった、都会へ出るつもりだった。だが楊君が故郷で牧業をやるので、一緒に来た。ここでは、専門を生かして、羊よりも、この子らを育てたい、幼稚園を作りたい、とのこと。
学校は町に集中する傾向にあり、小学校から街の親せき宅や寮に住み、実家には2週間に一回、帰ってくるノミ、幼稚園からそうなのだ。村がさびれ、街へ出てしまう大きな原因になっており、両親にとってはお金の負担も大変だ。
昔、デンマークは北方戦争に敗れ、北の端のヒースの荒れ地、ユトランド半島に押し込められたが、まず始めたのは、沿岸全域の植樹帯づくりと人づくり、おかげで今、豊かな農業に恵まれている、砂漠化する内モンゴルの見本だ、楊夫婦で、分業するのだ、というわけだ!