3月21日(土)神戸で本田健さんをお迎えして教育講演会を開きます。

興味のある方はぜひ講演会の詳細をご覧ください。

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サドベリー関係者へのインタビュー・シリーズ、今回のテーマは、ズバリ「ゲーム」。

Sudbury Schools: #18: Video games on YouTube

デモクラティックスクールとゲームは、切っても切れない関係にあると言っても過言ではないでしょう。そのゲームにまつわることについて、サドベリーのスタッフが語ってくれています。

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Mikel Matisoo(スタッフ、Sudbury Valley School)

・ゲームのマナー

「僕たちの学校にはビデオ・ゲームをしているたくさんの子どもたちがいるんだけど、ゲームをすることでまわりに迷惑をかけないようにするにはどうすればいいかということについて、多くの議論がスクール・ミーティングでなされてきたんだ。その際、ゲームをする子どもたちはゲームはまわりに迷惑をかけないということを主張してきたよ」

・ゲーム・コ−ポレーション

「学校には“ゲーム・コーポレーション”というグループがあって、ちゃんとそれ用のスペースや、ゲームの環境をきれいにしておくためのルールをもっているんだ。彼らはコーポレーション内でそれらのルールについて話し合っているんだ。機材が盗まれたりした事件もあったんだけど、それ以来物品の管理のために機材を記録しておくルールもできたんだ」

・ゲームと社会性

「ゲームに関して特筆すべきなのは、一般的に子どもたちはグループでゲームをしているということだよ。何人かがプレイをしていて、たくさんの子どもたちがそれを眺めている。ビデオ・ゲームをする子どもたちは、(ひとりでゲームに没頭しているわけではなく)そこで他の子どもたちとお互いに交流しているんだ。そこではビデオ・ゲームについて話し合ったりするんだけど、それだけじゃなくて別のことについて話し合ったりする。

 そこからゲームをしていない子どもたちと交流したりして、ゲームをする子どもたちとそうでない子どもたちとのつながりができる。そうやって、彼らは相互に交流しているんだ」

・関心の移り変わり

「10才ぐらいの子どもはゲームに夢中で、13・4才になると女の子に興味をもつようになる。自分の身の回りの清潔さに気を使うようになったり。そうやって別のことに興味をもったり、話し合ったりするようになるんだ」

・中毒

「中毒というのは、人間のとても基本的な問題だよね。どんなものにも中毒は起こりうる。その中でもゲームは害の少ないものだよ。(アルコールやタバコ、麻薬、セックスなど)人々が後々の人生で中毒に陥るものに比べてね」

・知的トレーニングとしてのゲーム

「いいゲームというのは、それだけで知的なトレーニングのための道具なんだよ」

・なぜゲームは批判されるのか?

「ほとんどの親は子どもがゲームをすることに怖れをもっているけど、それは彼ら自身にゲームで遊んだ経験がないからだよ。子どもが野球をしていてそれが気になる親はいるかい?」

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「子どもは自分のしたいことをしてもよく、その活動について大人から批判されることがない」というポリシーをもつデモクラティックスクールの中では、多くの子どもが思う存分ゲームを楽しむことができます。先日見学に訪れたある子どもは、デモクラティックスクールではずっとゲームをしていてもいいと聞いて、とてもうれしそうな顔をしていました。

それだけ子どもから愛されているゲームですが、なぜかほとんどの大人は子どもがゲームをすることに眉をひそめます。

おそらく、多くの大人は、ゲームという遊びの中に、なにも生産的なものが見い出せないのでしょう。

しかし、人が何かに夢中になる時、そこにはその人にとっての“何か”があると考える方が自然ではないでしょうか。

大人は、子どもがゲームをしている姿を見て、アルコール中毒か何かと同じものをイメージしてしまうのでしょう。しかし、インタビューでサドベリーのスタッフが述べているように、中毒というものはあらゆるものに起こりえます。

仕事中毒で体と人間関係を壊す人も多くいます。

勉強ばかりして他人とうまくコミュニケーションがとれない子どももいます。

しかし、そういう人がいても私たちは、仕事をしてはいけないとか、勉強をしてはいけないとはいいません。なのに、なぜかゲームだけは、ゲーム中毒になるわずかな例を取り上げて、「してはいけない」と言ってしまいます。

大人がゲームを見る視線は、かつてマンガやロックに向けられた視線と同じようなものです。昔、若者がマンガやロックに夢中になった姿を見て、大人はそれらを文化の退廃とみなしました。しかし、今では、マンガ家もロック・ミュージシャンもすべてを同様に一括りにできるものではないし、すぐれたマンガやロックは他の優れたアートと比べて劣るものではないことは自明になっています。

ゲームも同じで、すぐれたゲームがあり、それに多くの子どもが熱中している、そういうことなのだと思います。

ロックやマンガですら、かつては、多くの大人に拒絶されましたが、今ではそれらの価値を否定する人はいません。ゲームも、何年後かには、誰もが認める文化になっているのだと思います。

>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
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