望ましい社会のための学校とは

デモクラティックスクールに見学に来られる保護者の方が、

 「デモクラティックスクールに通っていると、子どもが集団で生きていくことができなくなるんじゃないでしょうか?

 社会で生きていくためには、普通の学校の方がよいのではないでしょうか」

という質問をされることがあります。

これは、デモクラティックスクールを知り始めた大人がもちやすい疑問ではないでしょうか?

わたしたち大人は、1000人前後の生徒がおり、大きな建物にたくさんの人がいるあの学校を思い出し、そこにいれば多くの人間と関わっていると思うからです。

学校が、大人になって社会に出ていくための準備期間としての場を(も)備えた方がよいとは私も思います。そしてそのためには、学校が社会というものにできるかぎり近づかなければなりません。

しかし現実の学校はある点では現実の社会と類似しているのですが、ある点では現実の社会と全く異なっているのです。

まず、社会にも学校にもルールは存在するのですが、社会のルールが(一応)民主的に決定されているのに対し、既存の学校は一方的に上から子どもたちに与えられ、それを破ることはもちろん、異議を唱えることも許されません。

学校に存在するルールは学校の構成員である生徒の同意を得た制度ではないため、それは生徒にとって単に押し付けられたものとして機能します。

このような組織を子どもの頃から10年以上経験することにより、私たちには、「ルールとは上から与えられる束縛」という観念が埋め込まれます。

この「束縛としてのルール」は、現実の私たちの社会の法律とある点では似ていると言えるでしょう。

法律は、私たち「が」選んだ議員が制定しているという点で、一応私たち「が」作っていることにはなっています。

しかし現実は、私たちの意思を反映する法律を議員が発案することは稀ですし、また私たちの生活の実感から乖離した法案を官僚や「有識者」が考え出し、彼らと深い結びつきを持つ議員がその法案を議会で通過させています。

その点で、社会の法律も、学校の拘束と同じで、私たちにとって束縛の役割を果たします。国民の同意を得ていない陪審員制度や定額給付金制度が運用されるように。

だから、国や地方公自治体の法律に何の疑問ももたずに社会で生活を送るという点では、そのための訓練をする場所として学校はふさわしいと私は思います。

問題は、それが本当に私たちの望んでいる社会の姿かどうかということです。

学校における校則が上のような欠点をもっていたとしても、それによって社会の秩序を維持する人間が養育されているのであり、それによって今の社会は成り立っているのだから、既存の学校はその点で重要な役割を果たしていると考える人もいるかもしれません。

しかし、それは、秩序・ルールとは上から与えられなければ人は守ることができないという考えに基づいた考えです。

デモクラティックスクールで日々働いていて実感するのは、人は、そのようにルールを上から与えられよりも、自分でルールを作る方がはるかに規則遵守の精神を培うことができるということです。

デモクラティックスクールでは、ご存知のように、子どもとスタッフが平等に一票を持つミーティングで物事が決められていきます。

そこではルールが作られると同時に、既存のルールに疑問をもつ子供やスタッフはルールの変更を提案していきます。

「ルールとは自分が作るもの」

こういう意識をもつとき、人はどれほど真面目にルールを守るかを日々私は体験させられています。デモクラティックスクールの子どもたちの規律意識はとても高いものがあり、その厳しい目を自分にも他者にも向けます。規則を破る行為は、ミーティングの場で他の構成員から「訴え」られます。

ルールが単に上から与えられるとき、それに対して自立性を表明するためには、「破る」しかありません。既存の学校には、反抗のための反抗を繰り返す子どもがいますが、彼らは、とりあえず押し付けられたルールを「破る」ということしか思いつくことができないのではないでしょうか。なぜなら、「よりより学校とはどういうものか」「学校をよりよくするにはどうすればいいか」という問題を考える機会を小さなころから全く与えられていないのですから。

デモクラティックスクールの子どもたちは、反抗のための反抗のような無駄な時間を過ごしません。自分に不都合なことがあれば、変えるよう提案し、自分の主張の妥当性を周りの人に訴えればいいのですから。

デモクラティックスクールのよさは、「学校をよりよくするにはどうすればいいか」という問題につねに子どもたち自身が直面することです。他人任せではいられないのです。自分で学校の在り方を考えるのです。頭を使うのです。

社会と人生に対する建設的な態度とは、そのような環境によって初めて育まれるのではないでしょうか?

また、今の社会に求められているのも、既存の秩序を自分で作り変えていくことを当然と考えている人財ではないでしょうか?

わたしたちの社会を、その構成員自身がルールを作り出しながら、同時に疑問をもつ時には積極的に自分でルールを変えることができる社会にしたいのなら、つまり真の民主主義の社会を作りたいのであれば、学校も民主主義的なものにすることが望ましいでしょう。

>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
 都会のサドベリー・スクール
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