デモクラティックスクールの特色は、これまで繰り返し言われているように、大人と子どもが対等の立場にあるということです。
大人は大人であるという理由で子どもに命令したりはできません(しません)し、子どもは子どもであるという理由で大人の言うことに従ったりはしません。
スクールの中には、一般社会の「子供は大人の言うことに従うべきで、大人は子どもを教育しなければならない」という観念が排除されています。それは、この観念が間違った偏見に基づいているとデモクラティックスクールは考えているからです。
また家庭では親が子どもに干渉することが当然視されているので、子どもは親との関係で上下関係におかれてしまいます。
この上下関係も、大人と子どもの対等性を確保するという点で、学校から外へ出されるべきとデモクラティックスクールは考えます。
そこで残るのは、スタッフとメンバー(子ども)の関係です。
まずデモクラティックスクールは子どものための学校であるゆえに、スタッフは子どものために存在します。スタッフは子どものスクールライフが充実するためにできることをします。子どもの学びの環境をととのえるために。
スタッフのそのようなサポートに対し、子どもはスタッフに対して対価として給与を支払います。
サドベリー・バレーの元生徒で現スタッフのスコット・グレイさんは、サドベリーはスタッフを有給扱いするようになった時点から、スクールの質が上がったと言っていました。
つまりスタッフが、子どもの学びの環境をサポートする“プロ”となることで、学校の充実度が変わるということですね。
子どもとスタッフとの対等の関係は、スタッフは子どもに対し学びのサポートを与え、子どもはスタッフに給与を支払うことで成り立っています。
これは、一般のビジネス社会と同様の関係です。
ただ、形式的に給与を支払えば対等の関係になれるかというと、それほど単純な話ではないですね。
一般の会社でも、従業員は、自分がいつか解雇されるのではないかという恐怖感をもちながら仕事をしているので、形式的には対等でも、感情面では雇用者に対して卑屈になったりすることがよくあります。
世界中のデモクラティックスクールでも、スタッフの多くは雇用契約を毎年更新できるかどうか不安を感じながら仕事をしているでしょう。
そうした不安を感じながらも、雇用主である子どもと感情的に対等になることが理想でしょう。それはデモクラティックスクールだけでなく、世界中の職場で理想とされながら、また同時に達成することが困難とされている状態です。
本来であれば、従業員だけでなく、雇用主も、従業員と感情的に対等な立場に立つことを望んでいるでしょう。しかし従業員が卑屈になればなるほど、雇用主も従業員に対して横柄に振舞ってしまいます。
デモクラティックスクールが、子どもと大人が対等な立場に立つ空間であることを理想とするなら、メンバーとスタッフは、とくに給与をもらっている大人は、雇用-被雇用の関係でありながら、感情的に対等になるための努力をしなければなりません。それは、給与に見合う仕事をするのは当然のこと、給与を貰う立場でありながら、メンバーに対して対等に振舞うことが求められるのです。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
都会のサドベリー・スクール
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