わたしたち人は誰でも、自分の意思にかかわりなく、この世界に投げ出されて生を享けます。

そこから私たちの生は始まり、喜びと同時に、様々な苦しみも味わいます。

つまり、生きるということは、それによって人は様々な経験をするよう強いられることだと言えます。

では、生きるということは、私たち人間にとって、襲いかかってくる悪魔のようなものなのでしょうか?

もちろん違います。

人はなぜ生まれてきたのかは、証明不可能な神学を持ち出さなければ解決できない問いです。

しかし、にもかかわらず私たちは、生きることを<強いられる>経験ではなく、自分から行っていく経験へと変えることができます。

生まれるという一つの制約を課された人間が、それでもその制約を納得して受け入れるには、すべての行為をすべて本人が決めることができる環境が必要です。

完全な自由の下で、世界がどうなろうと、自分は自分ができることをなすものだという経験です。

世界とは自分の自由意思を発揮させるために存在するのだと意識することです。

すると、世界とは自分に課された制約ではなく、自分の自由を実現する場だということになります。

なぜ自分が生まれてきたのかは分かりません。

しかし自分には自由があり、その自由意思を発揮することができる、ということは分かります。

なぜ自分がこの世界に存在するのかは分かりません。

しかし世界は自分の行為を制約するのではなく、むしろ自分の自由意思が世界を作るのだということが分かります。

だからこそ自由は素晴らしいし、人に必要なものなのです。