デモクラティックであるとはどういうことなのでしょうか?
デモクラティックスクールで働いていますが、いまだに私はよくわかっていないなぁと思わされます。
スタッフとしてスクールを動かす以上、率先して何かを仕掛けていかなければならないという使命感を持とうとします。
しかし、勝手にスタッフが何でもしていいわけではありません、デモクラティックスクールでは。
スクールのお金を使ったり、スクールの時間を使ったり、スクールの場所を使う以上、メンバーの承認が必要になります。
こちらが勝手にいいことをしようとしていると思っても、メンバーの理解が得られなければ、実際に行動することはできません。
デモクラティックであることは、スタッフも含めたメンバーの誰か一人に、「英雄」や「殉教者」の役割を担うことを許さないことだ、と言うことができるかもしれません。
団体全体のためを思って、という考えのもとに、独善的なヒロイズムに酔いしれたり、賞賛を得るために自己犠牲的な行為に走ることは許されないのです。
デモクラティックスクールには、生徒の中にはもちろん「優等生」はいません(「学校」という団体においてそういう事実は奇跡的なことかもしれません)。同時に、スクールを救う「救世主」も存在しないのかもしれません。そのような英雄ストーリーはデモクラティックであることにそぐわないのです。
デモクラティックであることは、誰かではない、「みんなの意思」に決定を委ねることです。そこには「ヒーロー」はいません。
デモクラティックであることは、「自分」を手放すことでもあるのでしょう。自分が行う提案がみんなに認められるとしても、それは「みんな」が決めたことなのです。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
都会のサドベリー・スクール
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日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。