今日はスクールに新しい見学者の方がひとりと、スタッフ希望の方が先週借りた本を返しに学校を訪れました。
4月から神戸サドベリースクールと名称を変えたデモクラティックスクール宙ですが、名前だけでなく、中身もより充実へと向けて動き出している気がします。いつも開放的な神戸サドベリースクール、何かを感じる人達をあちらこちらから引き寄せているのかもしれません。

追記
最近読んだ本から。

子供が学校に行くのは当然の義務だと思っていたのに、ここの子供たちを見たその目で日本の子供たちを見れば、生まれながらに自由な存在であるはずの子供たちまでもが強制教育という枠組みに縛られる、罪な社会に思われてくる。
この村の子供たちは小さな頃から村人皆からかわいがられて育つ。母親一人が個室の中で育児に追われるということはない。<中省略>
最初に出会った三人の少女がそうであったように、この村の子供たちの目が日本の子供たちには見ることのできないような人間的知性を感じさせることに、私は大きなカルチャーショックを受けた。
日本のような教育のあり方が、進歩した教育のあり方なのだと信じていた私は、彼女たちの知識を超えた「知性」に衝撃を受けた。
多忙な中で子育てという「労働」に追われたり、「子供なんかめんどくさい」などと言う日本の若い女性たち、そんな世界がひどく病的に感じられる。
こんなにまでやさしく人間味あるれるこの人たちを見ていると、なぜ日本では子供たちまでもが傷付け合うのかが分かる気がする。

老子が言うように、この世は全く逆説的なのかもしれない。

教育という美辞麗句で飾りたてられた日本にはそれがなく、教育という言葉すらないこの村には、私たちが求めているはずの理想中の理想の教育が実在している。
私は今まで何を信じていたのだろう。〜タオ・コードより〜