よく「サドベリースクールに来るような子は自分で学んでいけるのだから、学校はいらないんじゃないか?」と言われます。
日本でも「ホームスクーリング」「ホームエデュケーション」という呼び方で、家で学んでいる子どもたちはたくさんいます。僕はホームスクーリングの学びの選択肢を否定する気はありませんし、「既存の学校の教科学習の枠を超えて子どもたちが自分で学んでいく」という原点的なところは、サドベリースクールと同じところにあると思っています。
ただ、ホームスクーリングとサドベリースクールが同じものなら、わざわざ学校としてサドベリースクールを行う必要はありません。
サドベリースクールが学校として存在する意義として、次のようなものがあります。
子どもたちが何か学びたいときに、サドベリースクールなら多くの人たちがいて、必要とする情報を持っている人がいる可能性も高くなります。またスクール内にサポートできる人がいない場合は、スクールとしてのネットワークでサポートできる人を探すことがやりやすいというメリットもあります。
もうひとつ、とても大切なことは、サドベリースクールは小さな社会だということです。
子どもたちは大人になって社会に出て行く前に、サドベリースクールの第三者の集まりの中で社会を学ぶことができます。それは人間関係から、団体での問題の解決、自分の主張のアピールの仕方まで、幅広く存在します。
ホームスクーリングとサドベリースクールは学びの違います。
そしてそこには、ホームスクーリングにはホームスクーリングの、サドベリースクールにはサドベリースクールのそれぞれの学びの良さが存在するのです。
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