純愛ラプソディ

MNです。

まずは「今日の支援室」から。
本日は土曜日ですが、KK君、学生のSIFEプロジェクトのサポートで今日もご出勤。御苦労さまです。いろんな問題・課題にお悩みの様子ですが、いつか花開くときがきますよ。そしてその後さらに大事なのは、花よりも実ですから・・・。

私事ですが、この1〜2週間、私は有頂天です。

「ネクタイがお似合いですね」「ポロシャツがイカしてます」等々、複数のレディからうれしいお言葉をいただきました。それで有頂天・・・?まあオトコなんてこんなもんです。権力も財力もないので、レディの言葉に他意はないものと確信しています。10年以上続いたユニクロ中心生活を超えようとしたところなので、弾みがつきました。

加えて3週間前からはじめたダイエットが順調。カロリー制限しているだけなのですが・・・。苦痛がないので続けられるだろうし、リバウンドもないものと期待しています。意志が強いとか言われましたが、全然関係なくて、要するに食べすぎていたのです。今やウエスト82cmの綿パンは腰まで落ちてくるので、先日1サイズ下の79cmを買いました。次の目標は76cmです。

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次、「今日の支援室・番外編」ですが、先週の学会道中の一端を。
支援室には「地域福祉」をテーマとする人が4人もいて、6月20日、21日には、その4人が「日本地域福祉学会」に行ってきました。

学会会場にはクルマで移動しました。クルマのメンバーは、私MN、KT先生、KK助手、院生のS君。ところが、うっかりしていて、その道中を楽しむためのCDを積み忘れ、1枚だけあった竹内まりあの「Souvenir」をひたすら流していました。車内を探したら、他にぴんからトリオや加山雄三のCDがあったのですが、それを楽しめる者は私だけなので、即却下。

で、帰りの道中もやっぱり「Souvenir」。結局、往復数時間同じCDを聞くはめになり、男ばかりの同乗者の耳と脳には「竹内まりあ」が染み付いてしまいました。最後は、口ずさむ者、ハモる者が出る始末で、さすがに男が歌う「竹内まりあ」は気色が悪い。

「♪〜人生はあなたが思うほど悪くない〜♪」、TBCのCMにも使われた「元気を出して」です。「う〜ん、良いフレーズだ、今度学生に言ってやろう。」ということで、J−POPも援助技術の1つになることがわかりました。使い方間違えるなよ。

■「元気を出して」歌
http://www.youtube.com/watch?v=V5FO8o9f5cY

道中、運転手の私に気を使う助手席の院生S君は、「竹内まりあの、あの曲・・・何でしたっけ?」と言ってその曲のサビを歌いだす始末。やっぱり気色悪い。

「それ『純愛ラプソディ』やろ。」と答えると、S君「そうそう『純愛』『純愛』・・・あの曲イイっすよね、『純愛』!」。(調子良すぎやろ「純愛ラプソディ」って不倫の歌やど、しかも女の・・・。どうやって共感すんねん!)いろいろ疑問はありましたが、運転手なのでそこはあえて突っ込まず、無事帰ることができました。

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そんなこんなで、今日のマイブームは「竹内まりあ・純愛ラプソディ」です。

あまり知られていないのですが、竹内まりあには不倫の曲が少なからずあります。例えば、「恋の嵐」「OH NO, OH YES!」「マンハッタン・キス」などなど。「恋の嵐」は今にも熱が出そうな曲で、大ヒットしました。「OH NO, OH YES!」は、ヒネリなしかよ!という曲、「マンハッタン・キス」は物悲しいぃぃ・・・曲です。

■「恋の嵐」歌
http://www.youtube.com/watch?v=iE9apw8oHeY
■「OH NO, OH YES!」歌(中森明菜)
http://www.youtube.com/watch?v=v162kjpDvYw&feature=PlayList&p=484016073339887A&playnext=1&playnext_from=PL&index=73
■「マンハッタン・キス」歌
http://www.youtube.com/watch?v=0SVZ594x80k

で、「純愛ラプソディ」が不倫の歌であるのは、面白いというか皮肉な話です。何故「純愛」が「不倫」を意味するのでしょうか。

■「純愛ラプソディ」歌詞
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND7077/index.html
■「純愛ラプソディ」歌
http://www.youtube.com/watch?v=LEZDZ3b3nIs

「純愛ラプソディ」は、地味な目立たない女性(OL、派遣?)が陥ったシングル不倫を明るく乗り切ろうとする歌で曲調も明るいため、院生のS君だけでなく、不倫の歌だと気づかない人もいるようです。この詩の中で、一か所、不倫を乗り切ろうとする勢いが余ったフレーズがあります。
  形では愛の深さは測れない
  さよならが永遠の絆に変わることもある
前段は、不倫こそが純愛だと言わんばかりです。「純愛ラプソディ」の真骨頂です。開き直りにも聞こえますが、一面の真理ですよね。後段は、純愛を永遠なものとするため「さよなら」という選択肢もあり、というところでしょうか。「永遠の絆」と言えば聞こえはいいですが、夫でもない相手に永遠の愛を刻印しようとするなんて、愛と恨みは表裏一体という感じもします。深読みですかねぇ。いずれにしても、全般に謙虚な「純愛ラプソディ」の詩は、この部分だけ際立っていました。

昔「純愛」とは、「素朴な愛、プラトニックな愛、さまざまな夾雑物を取り去った愛」という理解だったのですが、今や「すべてを包括する愛、すべてに優先すべき愛、制度を超える愛、障害を超える愛」といった理解になったのではないでしょうか。要するに「不倫」は制度から見れば「倫理にあらず」でも、愛から見れば純粋なのです。制度に支えられた愛は、逆に不純で実態を失いがちな愛である、という理解にもつながります。「純愛のポストモダン」とでもいうべき現象ですね。「純愛ラプソディ」恐るべし(※)。

う〜ん、深い話だよな。地域福祉もそう。
以前は制度外にある、非公式で住民が勝手にやる福祉、無責任な福祉が地域福祉だったのですが、福祉の理念を純化させると、制度に支えられた福祉が逆に不純にみえて、地域福祉こそが本当の福祉だと言ってしまいそうなときがあります。これは史的唯物論では説明できそうにありません。しかし既存の地域福祉理論はポストモダンをまだ経験していないとみられます。来年の地域福祉学会は「不倫−純愛の地域福祉論」で行きましょうか。

実践教育支援室年長 MN

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※ ただし「純愛ラプソディ」の不倫感は美し過ぎて違和感を感じます。「不倫」には、「他人のものだから(こそ)価値がある」という側面があると思います。この理解に基づくと、シングル不倫の既婚者側の身勝手な安全愛を取り上げるだけでなく、未婚者側の問題としても捉えることもできます。つまりはシングル不倫であろうが、ダブル不倫であろうが、その報いは平等であるべきなんだと・・・。