昨日、実習指導の最終授業のオリエンテーションが終わりました。
いろんな思いが交差しましたが、ふと最近、私がこころうたれた詩が浮かびました。
その詩を少し長いのですがここに紹介します。
実習に向かう学生たちに、自分はどれほどの弓になれたのかを、
もう一度こころせねばならないと思います。
「子どもについて」 ハリール・ジブラーン
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をして下さい。
それで彼は言った。
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。
あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。
射る者の手によって
身をしなわせられるのをよろこびなさい。
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。
「預言者」1923 より
訳:神谷美恵子
※ハリール・ジブラーン(1883−1931)レバノンの詩人
支援室:母なる弓 N.N.