地場衛(ちば まもる)です。
関西学院高校、2回戦敗退、残念でした。
初回先制されたときは、10対0も覚悟してましたが、なんのなんの・・・、見事に接戦に持ち込みました。
緊迫感あふれる、本当にいい試合だったと思います。
兵庫大会での勝ちあがり方をみても、甲子園の初戦をみても、試合巧者ぶりが際立っていました。
今後、さらに野球部が発展していく、そういう近未来を期待しています。
感動をありがとう!
<今日の支援室>
私は今日も支援室にいましたが、当然、特筆すべきことはなしです。
KK君、GPの必死さが伝わるブログでした。
元気いいよね、うらやましい。
支援室の若手メンバーは20歳台後半ですが、その頃自分はどんなことしてただろう。
ふとその頃を思い出してしまいました。以降、自己満ですが、こんなことしてました。
<星野君の2塁打>
20歳台後半、私は体育・スポーツの研究をしていて、体育・スポーツの意味を考えるという、いわゆるスポーツ科学とは一線を画した、スポーツ人文学ともいうべき領域を専攻していました。わかりやすくいうと、体育・スポーツの歴史や文化に属する領域です。これは社会科学とも違って、社会や人に直接的に貢献しうるような分野ではないので、「はあ・・・?」と思う人も多いと思います。
例えば、テニスのサービスは、あんなすごい球を打って相手を打ち負かすのに、なぜ「サービス」というのか、といった問題を考える領域です。当時から、体育・スポーツの世界で、行き過ぎた競争主義が問題視され、ドーピング問題、根性主義、バーンアウトなどが、世間でもまた学術的にも、話題に上りはじめていました。こんな状況の中、体育・スポーツのもっと多様なあり方を追及する、という思い込みで、研究を進めていました。
ある日、筑波大学で体育・スポーツ若手研究者の会というのが開催されて、私はそこで「星野君の2塁打」という、自分が小学校の頃受けた国語の教材の紹介をしました。話の概要は以下です。原文や解釈など、インターネットでたくさん紹介されています。
■話の概要
星野君が、野球の試合でチャンスに打順が回ってきたとき、バントのサインが出た。だが星野君はそれを無視して強打し、2塁打を放ち、試合に勝った。しかし、星野君は次の試合でベンチから外され、監督から説教された。
■《星野くんの二塁打》を読む
http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-326c.html
これは最近でも学校現場で、道徳の教材(私の経験は国語の教材)に取り上げられ、子どもに議論させたり、感想文を書かせたりしているそうです。
体育・スポーツの学術の世界でも、「星野君の2塁打」が十数年前から話題として湧き上がっていましたが、私はこれに、さらにさかのぼる十年ほど前に、学術上の話題として取り上げていました。つまり、十年後に話題となる材料を、他人より先に話題にする鋭い感性を私は持っていた・・・という自慢話?いやいや、真相は・・・。
私が「星野君の二塁打」を報告した若手研究者の会で、これを面白いと思ったある研究者Aが、研究者仲間でこれを共有し、より深く研究する人が出てきた、というのが真相のようです。要するに、感性豊かな仕掛け人がいたという話です。
別の体育・スポーツ研究者Bから、「お前(私)がすきそうな話題の小論を書いたから見てくれ」と言われ、若手研報告から十年ほど経たあとで「星野君の2塁打」をテーマとする論文の報告を見せられたときの驚きと感動は今でも忘れられません。聞くと、研究者Bは研究者Aにつながっていました。
生みの親より育ての親といいますが、子どもがしっかりと育った姿は、生みの親としても掛け値なしにうれしいものです。研究者Aは自著で、生みの親が私であることを報告してくれていましたが、それよりも「星野君の2塁打」が世間様の話題になっただけでも私はハッピーでした。
マモちゃんこと、地場衛