辞書では、創造的、独創的なことを表す。
まぁわざわざ日本語にしなくたって、その意図は伝わるであろうキーワードである。
では、どんな事がクリエーティブなモノであったり、出来事であったりするだろう。
周りを見渡してみれば、日常にはクリエーティブなものが溢れている。
モノに限定してみれば、
ペンギンの形をしたクリップとか、
ペプシコーラとカフェインのコラボ飲料とか、
内線電話とか・・・
これらは、僕のデスクにあるモノばかりですが、
「クリエーティブなモノ」って聞いて大体の国民が思いつきそうのモノとは言えば、
まぁipadとかでしょうかね。
では、出来事でクリエーティブって何でしょうね?
創造的かつ独創的な出来事を生み出すことって何なんだろう・・・
多分「出来事」という事象に限定してみれば、
何をもってクリエーティブなのかというのは、きっと個人の判断で違うのでしょうね。
見る人によっては、クリエーティブだし、
また見る人によっては、何もクリエーティブには見えない。
福祉の世界だってそうだ。
制度内の枠組みでどんなに頑張っていて、
その中をすり抜けるように「小さなクリエーティブ」を生み出したとしても、
内輪では「良くやっている」と評価されても、
外側から見れば「当たり前」「何もクリエーティブだとは思えない」という事だらけなのかもしれない。
社会起業の世界観なんて、より残酷に結果を求められる世界なのだから尚更なのかもしれないですね。
そう考えると、では外から認められればクリエーティブになるのか?という事になるけれど、それも「出来事」に限定したらとても難しい。
その人にとっては、最大のクリエーティブなのかもしれないし、
その状況で生み出せる精一杯の事をやったかもしれない。
でも、それでもきっと、「現場の状況」とか「能力の限界」を超えて、
何かを生み出さなければならない時があるのだろうと思う。
人間科学でもそうだけど、自身の自己成長と自己覚知によって、
まずは「己」を知る事はとても大切な事だと思う。
外部の視点や指摘されて動くクリエーティブなことはもちろん大事だけど、
まずは、自分が何をしたいのか。何を生み出したいのか?
自分の内発的なクリエーティブをやはり大事にしなければならないと思います。うん。
・・・長くなりそうだから、このへんで(%ニコ男%)