大人の関わり!八千代南小学校体育授業♪

今日は朝からまた八千代南小学校さんでの体育授業をさせていただきました!!

天気も心配でしたが、どうにかもってくれたしグランド状態もまずまずでした。今回も隆次くんがまたやりたいと申し出てくれたので一緒にやってくれました♪こういう若手が自分から子供に関わりたいと思う気持ちは本当に喜ばしい事です。この気持ちをどうか先生方が持ってほしいと・・・常々感じます。隆次くんとはこの小学校を2回目になります。お互い母校でもあるこの学校には当然愛着もあるし良くしたい気持ちもあります。だからこそやるのです!!自分達の為とか授業をするだけというものではなく、この学校が良くなるように!!ってそんな気持ちでこちらはやっています。

でも、この学校からの自分への対応はあまりにも粗末過ぎます。これは先週から感じていた事ではあるのですが、来る度にそれは強く感じるし、子供の問題が減らないのは大人に原因があるんだって事をどうも理解してもらえていない気がします・・・。先生方からすると、その『大人=保護者』だし、保護者からすると『大人=先生』になっている。お互いがどこか擦り付けをしている所があり、それが子供を通して反映されていると感じる。自分は第三者という一番冷静な目を持っている立場だし、その目があるからこそ現状の問題にも冷静に見れる。それは数回しか参加していない隆次くんにだって見えているものです。問題なのは、そこが先生方にあまり見えていないという事です。

自分はこの体育授業も『授業の一つ』だと思っているし、『学級会などと同じくクラスを良くする為の時間の一つ』だと捉えている。全ての授業がそうであってほしい。もちろん教えるカリキュラムがあるのだろう・・・それは先生という資格を持っていない自分には分からない話ではある。でも、そのカリキュラムにしても『正しい姿勢』でお互いが存在しなければ入っていかないのでは?という部分に目を向けてほしい。ここで言う『正しい姿勢』とは別に背筋を伸ばしなさいって事ではありません。

教える側と教わる側という事です。そのお互いの立場でやれる事をやるという事が正しい姿勢な訳で、そこを整理しないでいくらカリキュラムだからと授業っぽい事を進めても効果がないのは目に見えている。それをしない、出来ない子は『あの子は・・・』って差別化してしまう。自分だって勉強が出来た人間ではなかっただけに、そういう目で見られている感覚ってすごくよく分かる。子供にはすごい感覚があるから大人の背景なんて簡単に見抜けてしまうのです。

今、この学校で起きている問題は自分としては『子供に対する敬意』であったり自分達のような子供の為にやろうとする人への敬意なんだと思う。それがかなり足りないと行く度に痛感する。

大人だから報酬は渡します。はい、それで終わり!ですか????

そうではなく、もっと子供の事について真剣に話し合いたいのです。子供にもっと友達を大事にしなさい!もっと仲良くしなさい!と言うのならばもっともっとその事を大人(先生・保護者)が手本にならないといけないのです。子供がすぐにスネて出て行くとか、気に入らないからやらない、一人で好き勝手する、というのはそこに関わる全ての大人の責任である事を実感しないといけないのに、お互いがお互いの責任にしている。それが子供を通してモロに伝わってくる。たった数回こうして関わらせてもらう自分がすぐに分かるぐらいだからよっぽどなのに、改善への対策があまりに強引と言うか『マニュアル的』過ぎる。子供には個性があり、それそれがそれぞれの悩みを持って、理由があるのに、そういう子の持っている理由に対して『そんな事より』って無理やり体裁を整える為に動かされている。その事に先生自身が気付いていない。

そして『どうしてあの子は言う事を聞かないのか・・・』と嘆く。答えなんてハッキリ出ている。それを一緒に考えてくれればいくらでも意見はするのですが、自分の事はただの体育という授業でイベントのように楽しませるだけの人、という扱いをしている。

この不快感がある事も学校側は理解をしてくれません。

自分は与えられた時間と学年全てに関わりながらそれぞれの良さと課題をきちんと見えているし、言えるのですがそれすら聞いてもらえる体制ではありません。それぞれの先生がそれぞれの考えに固執して変えようとしない。自分が正しいと信じ込んでいる。言う事を聞かないとほぼ強引な手段でしか出来ない。それを大人の特権だと勘違いしている。

毎日自分はクラスで一人ぼっちになっているような子と時間を掛けて話し込む。そして持っている悩み、理由を引き出します。その中には『正当な理由』があるにも関わらず『あなたが悪い』というレッテルを貼られて聞いてももらえていない状況。ようやく話を聞いて、気持ちを落ち着かせ、教室に戻る決意をさせたので一緒に校舎の中へ送っていこうとすると、横から出てきて『何をやってるの!早く戻りなさい!!』とまた大声&腕ずくで解決しようとする・・・。せっかく落ち着いた心がまた崩壊。そんな日々をこうして繰り返しているのが目に見える。だから子供は常に健全とは言い難い状況の中で授業を受けていると痛感する。

これからコーチになりたいと思っている隆次くんも非常に心が豊かだから話と経験で多くを得ている。

こういう人間には自然と子供のほうが寄ってくる。これも当たり前の事です!一人勝手な行動をする、隠れる、逃げる、という行為は『この人は聞いてくれない』と思っているからだと分かっていない大人が多いという事。

それを分かろうとする余裕のある大人が残念ながらこの学校の先生には少ないようです。みんな『現象』だけに振り回されて、起きている事の原因に向けて話をしていないし未来を変えようとする余裕がない。今起きている事を、今変えて、今変わってほしいと最後は『期待』で押し込んでいるような状態。

先週からずっとあった違和感であり、自分は自分で勉強の場として活かせる事には当然感謝をしている。ですが、やっぱり人への敬意という点が一番で、自分は『学校側から招かれた立場の講師』であるにも関わらず対応があまりにもひどい。だからこそ、同じように思っているであろう生徒の気持ちは十分に分かる。だからこそ、そういう生徒に寄り添っても話が聞ける。『言い聞かせよう』ではなく『聞く』だけだからだ。

まずは子供本人が思っている『思いの根っこ』を引き出さないと始まらないって事。表面だけを見て見えているものを整えたり、刈ったとしても、根っこが変わっていなければ何も変化しないという事。

授業は間違いなく今日も伝えるべきは伝えていきました!1,2,4年生の3時間をテーマを持って、またそのテーマについて考える時間も、その意味も十分にやってもらった。ただ、その合間、前後に起きる『先生方の関わり』はあまりにも目に余るものだった。授業がどうこう言ってる話ではなかった。自分だって依頼をされて形だけを整えて、何となくやりこなす事は簡単に出来るけど、それは逆に『依頼していただいた責任』として反するから一生懸命やりたいのです。だからこそこの違和感とちょっと本気で向き合っていこうと思う。学校全体がどう受け止めるか分かりませんが、このままでは統合するこの学校が、中心となるべきこの学校が一番問題になるのでは?と心配で仕方がない。

大人も協力出来る社会でないとやっぱり子供は育たないし、そこを今後もしっかりと考えていきたいと思います!