今日は朝から自分は卒業生の試合を観る為に小野工業高校さんへ行きました。
同じ会場に、卒業生が多くいてみんなのがんばりを観る事が出来ました。またファルコだけではなく、スクールの時に関わっていた子、同じ地区の子、サッカーを通して出会った子にたくさん出会いました。ファルコの時じゃなかった子は『お久しぶりです!覚えていますか?』なんて不安気に寄って来てくれたけど、自分って案外覚えているんです(笑) 一人一人と関わった時間は本当に今思い出しても大切な事を教えてくれた子ばかりだし、そんなみんながこうして高校生になっても逆に自分を覚えてくれているのは本当にうれしい事です。大した事をしてあげられた事もありませんが、こうしてお互い元気にがんばっている中でサッカーを通じてまた出会えた事が何よりも素晴らしい事だと思えるのです。
ファルコに来ないからダメとか、部活だからダメ、とかそんな小さな世界観ではなく『人としての繋がり』をやっぱりこれからも大事にしていきたいと思う。卒業生のがんばりに自分もまた『今、この時』をがんばらないといけないって強く思える時間となったし、卒業生のがんばりには本当に勇気をもらえます。うまくいっている話だけではないし、もちろんきつい最中の子もいるだろうけど、みんなそうやって日々もがいて、あがいてがんばっている事が先の自分を作り上げるんだって事を今だからこそ話もしてあげたいと思える。
その時の、その子供達に合った事が伝えられる大人になりたいと思います!
今日は体育祭の練習で登校している西脇のメンバー以外での活動となったので、ちょうど半分の人数でした。
『いつもより』は少ないけど、これだけのメンバーがいるからこそ出来る事、学べる価値を大切にしたいと思っています。今中代表と一緒に練習に帯同しながら、終わってからも『育成って何だろう?』って価値観の話もしました。自分が高校の試合を見てきた感想などを踏まえてそんな話もしました。
育てるってどういう事なのか???
今しておかないといけない事って何だろうか?を日々考えています。答えは見つかっていませんが、最近学んでいる事として大きいのは、『正解って一つではない。だけど、間違いはいっぱいある』という事。現実を観て、その子にとって必要な事でなければ間違いなんだって事。いくら周りからは良さそうに見えようが、そんなのは関係ない。関わった当該者同士の関係性の中で必要か?そうでないか?の価値観は決まってくると思う。
自分はファルコという育成の年代に対して本当に何をしてやれるのか?を考える。
子供にとっては不都合な事であっても、必要な事であればやっぱり言わないといけない事があるし、考えさせないといけない。杖を持たせるのではなく、杖を貸してあげるのではなく、杖を作らせるような人間に育てたい。
こういうのってその場では理解されにくい事。後にならないと気付かれない事が多い。でも、指導者が先の形をイメージして目の前の事を伝えるのは本当に大事だと思う。サッカーも同じで、逆サイドまで、一番遠い所まで見えている中での目の前の勝負が出来る選手は良い選手。反対に、目の前でいっぱいいっぱいの選手はたとえそこでの勝負に勝とうが負けようが、その子に残るものはない。そうした場面場面だけで一喜一憂する美学がどうしても根強い世界の中で指導をしているので、葛藤するばかりの日々だけどやっぱりそこは曲げてはいけない部分。
今良い思いをさせる為に存在しているのではない、という事。
今、大切な事は『自らが学べる事』です。
教えてもらうのではなく、与えてもらうのではなく、『学びとる事』です。その為の環境をどれだけ作ってあげられるか?です。子供同士が観る、聞く、気付く、考える、やってみる、という環境を整える。それが全てなんだって思う。
ファルコだから伝えられる事がきっと多くある。自分はファルコの選手を他と比べて『あのチームみたいな子だったらいいのに・・・』って思った事がない。この選手達と出会って自分がいるし、がんばろうと思えるし、何か力になりたいと思える。だから、子供達の事で毎日毎日誰かと一生懸命話が出来る。ありがたい時間だと思える。
価値観って人それぞれだから、勝利してこそ、結果を出してこそが全て、なんて人もいる。レギュラーになる、得点を決める、選抜に選ばれる・・・なんて事だけでしか評価出来ない人もいる。だけど、世の中には『そうでない人』のほうが圧倒的に多く、そしたらそれ以外は価値がないの???って話。そもそも、そのレギュラーだったり、得点だったり、選抜であっても『競い合う、成功出来る仲間がいるからこそ』出来る事なんだって事。だから、選ばれた事の価値よりも『そういう環境を作ってくれた周り』なんだと思う。
だから自分は今、ファルコの子には伝えているのは『自分のしたい事だけじゃなくて周りのしたい事を引き出す事』を大切にしている。
今日、また変化が観れたのは『誰かの為に動ける子が増えた』という事。フリーランニングと呼ばれる、主役の為に意図的に脇役になれる動き。それを自分はとても美しいと思える。なかなか評価はされにくいだろうし、見る人が見れば『無駄な動き』にしか見えないかも知れないけど、それだって『その子がどういう意図で走ったのか?』が答えになる。無駄になろうが、助けたいと思う気持ちであったならばそれはもう周りがどれだけ言っても無駄ではないって事。むしろ、そういう走りを『やらされる』ほうがその子にとっては無駄。
正解って価値の考え方。これからもしっかりと考えていきたい。『それも』が認められる人間になりたい。『これしか』ではなく、『それも』。
器を大きく持ちたいです。今日も多くを気付かせてくれたファルコ生、卒業生、自分に話掛けてくれたみんな、本当にありがとう!!