昨日はナイター練習でした。

一週間の中の毎日の積み重ねをしていきたい。自分は『積み木を積んでいるつもり』でやっている。たとえ、週末等ファルコがない時や試合をした際に、相手にやられたりプレッシャーに負けてだるま落としのように叩かれても、積んだ中の何かが残っているような状態を作りたい・・・スタッフにもそう話をしました。

それは練習の途中の事でした。

自分は今週の積み重ねをジックリしていたし、その日のテンションや感情で決めているのではありません。みんなのほうが何も残す気がないのです。未だに、『この場に行けば変われるかも?!』という無責任な期待感でグランドにいる選手がたくさんいる。ほとんどの選手がそう。

その事をトレーニング中にも何度も、何度も言いました。『みんなじゃないよ!やっていない子が目立ってしまうよ!』という事を・・・。

それでも自分を見つめない。

もしかしたら自分は出来ていないかも?!という確認作業もない。弱い自分のくせに、虚勢を張るから、隠してばかり。隠れてばかり。

『すみません。俺、今まだ全力でやれていません』って言える人間がいない。自分の甘さを自分が認めない。何とかごまかして、自分よりもやっていない人間に目を向け、『あいつよりはマシだろう・・・』みたいな発想しか持てない。そうやって社会の中でも『下』を見ないと生きていけなくなる。本当に心が腐っていくぞ!と強く言いました。

そして、自分達は全力でやっています。って答えを出してきた。

誰もやっていないとは言わない。

呆れたから『だったらコーチから指導する事はない』という話をしました。

その後、選手だけで話し合って同じメニューを行った。

自分が見えた『ありえない雰囲気』が全く違うものになった。2年生リーダーは一人ずつ自分の思いを自分に伝えに来た。自分もそこは丁寧に応えた。

ただ、何をどう言ったとしても、『誰も弱さを認めなかったのに、どうしてこんなに違いが出るの???』って現実問題。要するに、『誰かが何かを変えたからでしょ??』ってなる。って事は、やっていない子がいたんだって事。それを個人として認めないくせに、みんなでごまかして、隠して、良くしようとする考えは自分の中ではありえないよ、って伝えました。

出来ない事に正直になれ、って言いました。それを改善する為に練習をすれば良いだけの事。ただ、やろうともしない姿勢にだけは絶対に許さない。自分の全力をぶつける覚悟もないならグランドに来るなって事を選手はもちろん預ける側も理解をしてほしいものです。預けてそこから何かをしてもらう、のではなく『大人が協働作業をする気持ち』を持たないと子供なんてそうそう変わるものではない。

今日は朝から高校サッカーを見に出かけ、そこでOBの選手、その保護者の方々とも色々話が出来て改めて気づいた。だから昨日の事を今整理しようとした。

やっぱり『自分自身』なんだって事。誰の事でもない、自分の事。

良くしたい?
強くなりたい?
うまくなりたい?

だったらそれを誰がやろうとするの?その『やっていない事』=『出来ていない理由』にして逃げているのは自分でしょ??

努力は報われる???違うよ。
報われた人間は努力をしているんだって話。勘違いしてはいけない。

必ず報われるなんて『見返り求めてやっている』だけ。やった分だけ良い思いをしたがる『図々しさ』が自分を下げるんだ。

もっともっと謙虚に人生を生きろ。長い人生で良い思いをしたいなら、今苦労をたくさんしないといけない。それがどんなに理不尽であっても、だ。逃げたら終わり。そこには何もない。逃げる前にもっともっと出来る事がある。話し合える仲間がいないならそれが自分の足りない要因となる。ちょっとでも自分が出来るとか、やれるなんて勘違いをするからイチイチ停滞する。停滞する時間というのが『落ち込んでいる時間』。もったいない時間。勝手に自分に期待するから落ち込むんだ。もしくは周りにがんばっていると思われたいから落ち込むんだ。

夢や目標にまっすぐな人間は落ち込んでいる時間なんてないと考える。自分に力がなかったんだと受け止める。

絶対に自分自身。勝った、負けたでしか評価出来ない人間には分からない話。本当に毎日楽しいと言えない人間、当たり前のような事に感謝出来ない人間、自分の何かが悪いって認める事から始まる。

苦労も楽しもう!
それが人間を磨く材料となる。

ペースは関係ない。とにかく進もう。