水は上から下に流れます。上流から下流へ流れていきます。

それが『自然の原理』です。

そしてその流れに抵抗したり、反抗したりしないから自然は何もしなくても人々を魅了する美しさがあるんですよね。近年、体の使い方についてあちこちで学べる機会が増えると見方も随分変わってきました。サッカーで言えば昔は足先でコチョコチョするようなフェイントをカッコイイとかすごいと思っていました。でも、今は自然な一歩が出るとか、流れに逆らわない動きをする選手を観ると『おっ!すごい!!』と思います。野球のイチローさんの捕球から送球するまでの一連の流れは全く止まる事なく綺麗に流れていきます。全身をまるでバネのようにしなやかに使うその姿は『捕る・投げる』という基礎的な動きなのに人を魅了出来る自然の風景などと同じです。サッカーではガンバ大阪の遠藤選手とか、ヴィッセル神戸に加入が決まったイニエスタ選手とかでしょうか?!呼吸をするようにボールを扱える選手。本当にすごいと思います。

そんな前置きのような話をしたのは、自分自身で自然の流れのようなものを作るって事をしなくてはいけないような危機感を感じてきたからです。

自分が子供の頃から比べても随分と物が溢れ、便利になり、環境も変わりました。良い事もありますが物の豊かさによって心はどんどん貧しくなっているようにも思います。純粋に好きな事を好きだとやれる人間が減っている気がして、損得勘定でしか動けない事だらけになっている。勝ったら○○を勝ってあげる、負けたら罰ゲームね、みたいな。。。

昔だってそれはあったのだろうけど、それは『きっかけ』であって全てではなかった。それに比べて今はずっとそういう感情で動いている人間が多いように思う。選択肢が増えて色々出来るように、選べるようになったからこそ『自分の基準だけ』で判断してしまう側面がある。『私に合わないから・・・』と場所を変え、品を変え、『私に合う場所』を探す。その発想で大きくなっていくから『気に入らない・気にくわない』という事で集団をボイコットしたり、避けたり、乱したり、をする。

自分でやっているつもり、がんばっているつもり。。。

だからこそ『違う視点』の方に観てもらったらどうだろうか?預けてみてはどうだろうか?そこで初めて見えるものがあるのではないだろうか?

芯を持つとか、一生懸命になる事で景色とは見えにくくなる事もある。全力ダッシュは景色を観る余裕がなくなるのと同じ。

内側では分からない事があり見落とす事がある。外からの目によって気付く事もあり言葉によって分かる事もある。保守的になると『過保護』になってしまう事にも気付かなくなる。いつしか自分の言葉で、自分の存在で何とかしたいと思ってしまう。

あなたが素晴らしいのは誰にでもオープンマインドであるからです。
あなたが素晴らしいのは外に確認を求められるからです。

見えない内側は是非オープンにしてみましょう!隠したらその分だけ誰かの不信感が募るだけ・・・。押さえつけると不満は溜まるもの。全てを出せたらきっと変わるのではないでしょうか???難しいのは分かっています。でも、その勇気こそが人を救うのだと思います(敬礼)