今日は朝から三木防災公園でクラブユース大会の最終日が行われました!
堀金コーチと二人で帯同し、まずは審判からのスタート。大会という場はチームそれぞれの形がよく見えます。その違いを楽しむ事がまずは大事。同じものなんてないという事。
みんなが思い切りサッカーをする為に環境はとても整っています。芝生のグランド、送迎、洗濯、食事・・・サッカーだけをやれば良い環境が出来上がっている事によりそのありがたみを『当たり前』だと錯覚している子がものすごく多い。
今日は参観日と重なってしまった事で、チームの半数がそちらに参加。
最終日は怪我人を抜くとちょうど11名という厳しい状況であり、言い換えればチャンスでもあった。誰にも頼れない中でやるしかないという状況。プラスに考えればこんなに良い環境は他にはない。ベンチ要員ではなくみんなが主役。そういう状況になった事をどう捉えるか?全てみんなの心が決める事!
そして、その状況になってしまったのは心の弱さが作っているという現実。甘くはないという事を痛烈に今日は教えていただいた。
最終日の相手はATSさんでした!
体格も変わらない。がんばった分だけ色々通用する状態の中で、見事なやられっぷり!積極的であれば何も問題はない事。
でも、出てくる言葉は『○○出来なかった・・・』という反省じみた『環境のせい・他人のせい』の反省文。
出来なかった???
やらなかった???
えらい違いですよ。
日常が『甘えられる』環境だから、本番、勝負の時にうまくいかないのは当然なのに、『どうして???』というようなアクションになるみんな。
やった事しか出来ないし、自分でやろうとしなければ身に付いていないという誤魔化せない本当の事実が出ただけなのですが・・・。
結果の後追いでしかがんばれないタイミングがもったいないとしか言い様がないですね。
怒るとか怒らないとかの次元ではなく、『がんばらなくても良い』環境自体にやっぱり疑問が多過ぎる。
『助ける・サポート』という考え方と捉え方に大きな差があるから結局自分一人で出来ないといけないはずの事にまで手を焼き、手助けし、挙げ句の果てには心配をする。。。サッカーに限らず、一歩家を出れば、もっと言えば一歩も出なくても世の中には危険な事が起きる要因はあるだろうし、全てを避ける事は出来ないのかも知れない。その中で、避けるのではなく、『向き合う』事をしてこなかったツケが今になって、これから先も大きく出てしまう。
社会という野山に放つ準備とは何だろうか?
一旦、家の中で飼われたペットが全ての環境を整えてもらった後に野山に帰るとどうなりますか?みんなもいずれ、大人の持ち物ではなく社会の一員となっていくのですよ?
やられないですか???心も、体も???
その為に今やるべきはずの事があり、向き合わせるべき事があると思うのです。
毎日がそのスタートを切れるタイミングであり、チャンスなのですが、何も気付かず、
いつも適温で、
いつも雨風を当たり前に凌いで、
いつも食事があり、
いつも欲しいものがあり、
いつも自分の欲求が優先
この状態で社会で戦えますか???
ちょっとギアを上げていきたいと思います。意味は伝えました。
やるしかない!!
対戦してくださったATSさん、応援してくださった保護者の方々、今日しか出来ない気付きをまた与えてくださりありがとうございました(礼)