今日は朝からFC志染さんに呼んでいただき、フットサルコートでのミニサッカーをさせていただきました!!
トレセン活動、テスト休みが絡んできた事もあって半数だった事、普段のスタメンのメンバーが大半いなかった事なども含めて違う意味でのチャンスだと私は受け止めていました。
その事を選手にも伝えたし、そのチャンスをどう捉えるか?はみんなの心が決める事だし、こちらが操作出来るものではありません。
アップでも、最初に任せた状態でいると『普段みんながやっている風なやつ』をする訳です。
中身を考えず、テーマにこだわらず、何となく、ですね!
それによって出てくるものも当然曖昧という事になり、途中話をしてやるメニューはこちらが与える形にしました。自分の立ち位置を知らない(というよりも考えない)事により、目指す形はあっても努力が合わない(ズレている?!)という事が起きている。その現実に気付く事が最善なのですが、なかなか時間の掛かる作業であり根気のいる作業だと思います。
最初からゲームは12本やる形と決まっていた上で、『同じ数のチャンスはないよ』と伝えました。
その上で、『条件は目と頭を動かそうとしている事。それによるミスなど全く気にしない』という事まで説明をしてやってもらいました。
が、途中キーパーと細かい話をする事になりました。
『どうして3年生が声を出さないんですかね???』という質問。言っても言っても変わらないんですけど・・・。と言われた時に、コーチとしても悩んでいた頃を思い出しました。
自分にはその答えが分かっていて、それをキーパーの子には考えてもらうようにしました。
どうして声を出してほしいの?
声ってそもそも必要なの?
出してほしい意味は?
それを考えてもらうと、キーパーなりに考えて『敢えて声を出さない』や『必要最低限出す』など工夫をしてみたようです。それでも、結局は分からなかったという事だったので、最後にみんなにも伝えました。
根本の『サッカーをやっているのは誰か?』という所からのズレ。
攻撃と守備があるスポーツの中で、どの段階なのか?『お前は守備だけしたら良い。攻撃だけしたら良い。』を決められたのでしょう???そういう『自分の役割という枠を決めて出ない』事が全てです。
何かを残せる選手との差は明らか。自ら考え、自ら気付き、自ら動き、を繰り返す。残せない選手は『これでいいですか?これならいいですか?これはアリですか?』みたいな感覚。やる前から正解を欲しがり、正解じゃないとやらない発想。それでは『オリジナル』が生まれないのは必然。
自分にしか矢印を向けられない選手は良いサッカー選手にはやっぱりなれないんだと思います。うまくなるのは自分。やるのは自分。当たり前なのですが、その時の『自分』というものが『他者の中で存在している自分』という認識からズレている。仲間がいて、相手がいて、その中でスペースとかパスコースとか生まれてくる事を分かっていないなんだろうな・・・。だから『リフティング』をし、『ドリブル』をし、『パス』をし、『トラップ』し、『シュート』をする・・・。
なるほど・・・・。うちの課題は見える。個々の課題も見える。でも、肝心の本人がそこに興味がない(笑)
交流してくださったFC志染さん、応援してくださった保護者の方々、ありがとうございました(礼)