今日は朝からトレーニングマッチ!!
高円宮杯に敗戦してしまったうちですが、明日その大会を迎えるコスモスさんの仕上げのトレーニングマッチをさせてもらえた事、モチベーションの高い相手とやれるのは本当にありがたい事です。
グランドも昨日の雨の影響がほとんどなく、良い状態でそこで準備もしてくださって迎えてもらえる事への感謝・・・が選手達には相変わらず少ないと思う。一日の試合を通して感じるのはやっぱりそういう部分。みんな自分の事しか考えていないから平気で不満を出すし、仲間の為にというプレー、動きが少ない。
ありがたい環境でやれている事をありがたいと思えない感覚・・・やっぱりこういう部分に『過保護』をしてしまっている事を痛感します。
普段に苦労をする時間、経験が少ないから自分が思う感謝の基準よりもかなり低いし、やってもらって当たり前、ばかりがみんなに蔓延していると感じる。
当然、それがプレーの精度一つ一つにも繋がっているから『ナイス!!』と声掛けしている基準も相当に低い。。。
いや、全然繋がってもいないやん・・・・と思うプレーでも、大体でナイスを言ってしまう。当然言われた側は『あれでいいんや』と思うから、自身への評価ラインも下がる。
楽しくやりたい、雰囲気を大事にしたい、その気持ちは分かるけど一緒に良くなろうとする仲間に対する『叱咤激励』という事は絶対に必要。今のみんなの基準で例えば自主トレをしても『ま、いっか』と辞めてしまったり、しんどくなったら終わる、という事になる。
厳しさがどこにもない。だから、戦えないし向き合えない。
今日、それが非常に出たゲーム内容でした。
みんなよりも早くにその悔しさや負けたくない気持ちと向き合い、気付いて、何度も泣いてきた二人が怪我と進路の件で不在だっただけでそういう精神面を引っ張る存在が今日はゼロだった事。
その二人に相当に甘えてきていた事に気付いただろうか?自分自身がチームを前向きにする力(厳しさ)がない事に気付けたかい?
喜びたい。楽しみたい。
その感情の裏には、必ず
悔しい。辛い。負けたくない。
に打ち勝った経験がある事を忘れるな!
平々凡々と楽しむとは訳が違うし、価値も違う。
これはどの年代になっても同じ。
『自分基準』の楽しみ方しか出来ない人間と、『社会(組織)全体の基準』で楽しめる人間との違い。全然意味が違う。
サッカーは一人でやるスポーツじゃないだけに、全体への気配り、目配りが出来る人間であってもらいたい。遊ぶだけの楽しいはいい加減に卒業してほしい。人に頼らないでほしい。
主役は俺だ!という選手が今日は一人もいなかった事。それが今日の成果でした。
対戦、準備をしてくださったコスモスさん、ありがとうございました(礼)