今日は朝から八千代グランドにてトレーニングマッチを行いました!
近隣の中学校に参加をしていただき交流の機会を作りました。
久しぶりのグランド設営からの行動になりましたが、まだまだ一人一人の頭で動いていませんよね?何が正解か?を探すのではなく、【僕なりに考えた事がこれです!】という行動による証明をお願いしたいと思います。
考えなくても出来る環境が良い環境だと勘違いしてしまう大人の元で育つ事はありません。
習慣???ですかね???
どうしてコーチに礼をさせるのだろうか???
少年団の中でも見ますが、指導出来る、させてもらえる、は【お互い様】でしょうが、子供にだけ頭を下げさせて、大人はそれに対して下げる機会はあるのでしょうか???
対戦するのは子供同士。学び合うのも子供同士。もちろん大人自身が学ぶ事はあっても、子供の学びの場(ピッチの中)にまで平気で入り込んでしまう大人にそれらが本当に見えるのでしょうかね???昨日、今日と違和感でしかありませんでした。
頭を下げるのであれば順序というものがあるような気がします。それすらもない中で子供にだけ何かをさせるばかりの環境には正直驚きばかりです・・。
やはり、誰が主役なのか?
という点からも疑問に思う風景が今日もありました。
子供に経験させ、子供自身に学びを持たせ、子供自身がそこで得た【感想・感じた事・感動】こそに意味と価値があるのに、どうしてそれを大人が先走るのでしょうか?
子供に見せる景色まで大人が決めつけてしまう事。そんな習慣によって、子供の感覚が【どんどん狭くなっていく事】を未だに分からない大人が多いようです。
気付いた時点で変われば遅い事なんてない。
気付く事に意味がある訳です。年齢を重ね、【要領良くやる事を覚える】だけの経験値なんて何の役にも立ちません(出世があるならばそれが手っ取り早い方法かも知れませんが・・・)。目の前で、何の混じりっ気もない子供達に、【こうあるべきだ】と押し付け、決めつけ、ついには【何の疑問も抱かない子にする】事を果たして指導と呼べるのでしょうか???
たまたま顔を出してくれた卒業生の話も含めて、やっぱり関わる大人に疑問を多く感じる事が多い。自分だってまだまだだから毎日考えるし、毎日悩む。その上で、今日も活動の最初にみんなに話をした事もある。中学校(部活動)生との対戦になると良くないみんなになるのがどうしてか???の話。みんなには伝わったと思うけど、やっぱり人間だから言われないと気づかない事だって多々ある。でも、言われても考えない、言われる事が全て否定だと思うしかない狭い感覚の人が指導の現場に関わるのはやっぱり無理だと思う。
学びには2通りある。
お手本にする方法と反面教師にする方法。
わざと反面教師の方法をしているのですか???
それをお手本だと思っているのですか???
大人の心の中が問われる時代。関わる子供が【育成年代】であるならば尚更の事。
今日、最大の学びは【少年団の時に思いでは???】の問いに対して、
【・・・・・・】
だった事。
何を残せたのか?
相手を通して残せなければ無意味だと思えるかどうか???
ファルコ卒業の数年後、数十年後に価値と意味がようやく見えると思う。
地域の根強い感覚を変えていかないと、と思う今日の最大の学びでした。
ありがとうございました【礼】