今日は心地良い天気の中、昼間のトレーニングでした!!
テスト明けの色々な面が落ちている中、また上げていかないといけない・・・と思わないといけないぐらい【みんなにとっての普段】がやっぱり感覚が違うと言うか【僕はサッカーを通して自分を高めたい】という思いなんて本当はないんだろうな〜というのが感じる所です。
サッカーは好き、サッカーは楽しい、で終わり。そこなんだと思います。
だからコーチの言葉は重たく刺さるのでしょう・・・。
でも、3年生になってくるとこの基準で対話が出来る。それはみんなの感覚が高まってくるからだろうし、そこに丸々2年間ぐらい費やす必要がある事が自分にとって一番大変で、一番地道な作業となります。
保護者の方はこの普段のもがいている様子はほとんど知りません。だから家での対話にもギャップが生まれてきます。自分はここの苦楽を共にしているからこそ大会や試合の場を楽しめるのです。
みんなの中で【がんばっている】という感覚は誰かに認められようとする努力だし、
みんなの中の【ありがとう】は自分が良い思いをさせてもらえた、からです。
この感覚が【成長】とはズレているという事を理解しないといけません。
【がんばっている】は成果を出したい場所の人に見てもらえていない時間にやっている時間の事。勉強なら先生、サッカーならコーチ、が見ていない場所でやっている時間だけが【がんばっている】であり、見られている場所でがんばっているのは普通なのです。
ありがとうも自分が得した時だけ言ってるみんな。本当は成長に必要な事だったり指摘をしてもらえた時に言わないといけないのに。
生活の中で何気なく受け取っている感覚がやっぱりみんなの中の基準なのです。
そして、【うまくなりたい】が、【うまくさせてください】である事も大きな勘違い。
うまくなりたい、はうまくなろう、と思わないといけないのにここが足りない。
最も足りない部分。
足りていない子はコーチを厳しい、しんどい、面白くない、と受け取り
足りている子はコーチがどうこうより楽しい、サッカーが好き、でいっぱいになる。
感情が他人によって流される時点で君は成長の思考にいないという事です。
みんなうまくなれるのです。
簡単なのです!
君次第なんです!!
やるしかないですよ!!一緒にがんばろう!!