シンポジウムの記録
2009年6月27日にはこの事業の最初のプログラムには、以下のように
「福知山市認知症予防の会」発足記念シンポジウム
〜共に幸せを生きるまちづくり〜
福知山の市民憲章のキャッチフレーズ“共に幸せを生きるまちづくり ”を、サブタイトルに置きました。
福知山の人たちに、スリーA増田方式による認知症予防教室の目的、理念、方法を知ってもらい、認知症予防の効果と必要性を理解していただくためのシンポジウムです。
このシンポジウムによって、認知症予防ゲームリーダーの大切さを知っていただき、養成講座に応募してもらうつもりでしたが、養成講座の申し込みはとっくに満員になっていましたので、もう一つの目的「スリーA方式認知症予防講座とは何か」を啓発するシンポジウムになりました。
次は、シンポジウムのプログラムです
(1) 講 演 13:20〜14:10
「NPO法人認知症予防ネットのめざすもの」
〜 認知症 くいとめよう 引き戻そう 予防しよう 〜
認知症予防ネット理事長 高林実結樹
(2) 講 演 14:10〜14:40
「老人ホームの現場で願い続けた認知症予防」
認知症予防ネット運営委員 松島 慈児
(3) 体験学習 14:50〜15:50
認知症予防ゲームの楽しい体験学習
高林実結樹 松島慈児
スリーA方式認知症介護予防職員研修修了者 介護福祉士 荒木早苗
(4) 質問と交流 15:50 〜16:10
ぞくぞくするような、楽しみなプログラムではありませんか?
満席になることを予想して、90名の講義室の机を取り払い、椅子を補充し、110の席を作りました。
結果は、
1)参加人数: 119名+運営委員8名+市の高齢者福祉課より3名 社会福祉協議会より2名 計132名
2)支援募金 : ¥33,440
図ったように、ぎゅうぎゅう詰めにして、何とか入っていただくことができました。
直接、経済的な援助はなかったものの、社会福祉協議会からは、会議や講座の場を全て無料でお借りし、福知山市の地域包括支援センターからは、各機関への広報、講座に必要な人手(毎回2人ずつ)や、100部にいたるレジメ・資料の印刷などを全て引き受けるなど、また、両者から後援の認可も得て全面的に支えていただき本当に助かりました。福知山市を挙げての事業の形が出来たと思います。
シンポジウムと養成講座を通して最も大切にしたことは、なぜ、スリーA増田方式が優れているのか、引き戻しや予防が可能なのか、孤独に陥りがちな方や認知症の人の心を癒せるのか、幸せな家庭生活が可能になるのか、つまり本物であるのか、を納得して頂くことです。それには、今現在この活動に関わり、それを実感しておられる講座のリーダー、NPO法人認知症予防ネットの皆さんにそれぞれの立場から、スリーAに関わりを持たれた動機や、この運動を続けてこられた手応えや感動や、たくさんの実践例をお話しして頂くことが一番良いと思い、お一人、お一人にお願いしました。
高林理事長からは、「頭がぼーっとする。どんな治療でも受けるから、医者へ連れて行って治して」と訴えられた実母の願いを叶えることが出来なかったこと、当時の認知症に対する、知識と対策が皆無で、ただただ“家族が優しく”というアドバイスしかもらえなかった、また、寝たきりにちかくなった状況の時に、拘縮を防ぐ手段さえ知らないままに寝たきりとニンチ症の症状を進行させてしまった苦い介護の体験が、話されました。
「母の死後、ボランテイア活動に明け暮れていたが、それだけではどうにもならない、国の制度を変えなければ、と単独で厚生省まで“「ぼけ老人」も介護・施策の対象として法律に明記する”ことを直接要求しに行ったりもした。手紙による訴えには全く反応が無かったのが、丁寧に聞いてもらえ、一定の成果が出て、“黙っていることは黙認だ”声を上げなければ何一つ変わらない、と思い知った」。
スリーA増田方式の「認知症予防教室」に出会い、これだと思いつめて、全国を“追っかけ”て、増田末知子さんに教えを乞いついに仲間を得て教室を立ち上げた経緯は、皆様ご存知の通りです。
高林さんは、増田末知子さんの紹介を詳しくされ、認知症予防ゲームが、きわめて、緻密に計画された脳と身体の各部の機能の活性化を図るものであること、同時に老年期特有の喪失感や認知症の予感からくる不安と人間関係の変化から来る不信の念に苛まれているかたがたに、心の底から笑っていただきながら、一人ぼっちではない、みんなと同じだ、大切にされている、いつでも見守られている、と感じていただけるような“優しさのシャワー”を降り注ぐことの2つの要素から成り立っていることを説かれました。
さらに、この方法によって、初期の認知症患者の方に現れ始めたたくさんの本質的な効果の実例を挙げて、日本全国に、ポストの数ほど教室を広げたい、という願いに言及されました。
次の講師松島慈児さんは、NPO法人認知症予防ネットの運営委員です。府内で始めての特養「寿荘」から、1976年宇治市「明星園」で養護老人ホーム、次いで明星園内に 8年越しのお年寄りの願いがかなって設立された特養での勤務、さらに養護老人ホームの総園長として、施設福祉一筋に歩んでこられました。
当時、痴呆という言葉さえなく、ぼけ老人、とか幼児化とか呼ばれていた、認知症のお年寄りの介護に遭遇して何の方策も無いことに悩んだこと、三宅先生に出会って認知症の勉強をしたこと、「ぼけ老人を抱える家族の会」との出会い、心を砕きながらも忸怩とした思いに 明け暮れていた時代、現在の認知症介護の状況などを ヘルマン・ホイヴェルスの詩集「人生の秋」の中の「幸いです」という詩を引きながら、話されました。介護を受ける本人の思いを、世界の人にわかってほしいという立場から書かれたものです。
親の介護やボランテイア活動を通しての高林さんの熱い思いと、スリーA方式認知症予防教室を広げることへの熱意、施設に中にあってお年寄りさんの介護に常に悩みながら、懸命に対峙してこられた、松島さんが、今予防教室に関わっておられてのスリーAへの評価が、車の両輪となって、効果と感動をかもし出すことになりました。
「認知症予防ゲームの楽しい体験学習」では、高林さんの名リードで、福知山でただ一人、増田さんが静岡で開催されている「スリーA方式認知症介護予防職員研修修了者」であり、京都短期大学卒業生の介護福祉士である荒木早苗さんも加わって、ゲームその1、「指を使って数えよう、グッパー体操、でんでん虫、お茶壷、グーチョキパー」などを習いました。最初のゲーム体験に、笑いが漣のように広がり、誰の表情も生き生きと笑っていて、楽しさが溢れているようでした。
最後には、参加者の協力で移動し、全員が輪になって、タッチと上半身の運動を使ったリズム運動の後、とうとう「泥鰌さん」にまで辿り着き、大きな声と笑いの渦の場となりました。ただし、高林さんの「泥鰌さんは、最高に楽しくて面白いゲームですが、このゲームに至るまでには、おたがいのタッチと触れ合いとリズムの段階的なリハーサルが必要です。いきなり、泥鰌さんを持ち込んで、なれない濃厚なタッチにほんの少しでも、戸惑いや嫌悪感を感じさせる様なことがあれば逆効果です。人の心はそれくらい繊細で微妙なものですから気をつけて」という言葉にシンとして頷いていました。最後にNPOさんにお借りした、シーツを使って「シーツ玉入れ」まで頑張っていただき、福知山の人たちも心の底から納得し,満足出来ていました。
お二人の講師に感謝し、実り豊な予防教室の存在と体験学習に陶酔したかのような、一日でした。
(福知山市認知症予防の会 村岡洋子)