認知症介護予防研修会では・・・

「地域から認知症予防を進めよう!」をテーマに 地域の会報へ投稿した一部の研修会報告文です。研修会では、何を教えていただけるのか?・・・8年前の講義ですので、また 新しい内容が増えていると思われます。

「認知症予防教室指導者研修会№1」
2002年12月開催

母の様子を相談すると、高林理事長は「研修会を受けなさい」即座に答えが返ってきました。

研修会は三日間、JR静岡駅近くの会場で行われました。混乱する母を残しての外泊です。私は母を置いていく心配、母は留守番が出来るかの心配、と二人の心配は大変なもので、いま、思い出してもどう切り抜けたのか、ただただ私は、藁をも掴む思いでした。私の留守中は、東京から実妹の応援があり無事受講出来ました。

研修会では、有資格者七十名弱が受講。無資格主婦の私は、肩身が狭いなんて思いも浮かばず、母の認知症を引戻したい一心で、前の席に陣取って必死に聴きました。

増田先生の講義は一分の空きもなく、「認知症について」「認知症予防教室」の知る限りを話してくださいました。

講義中は、専門用語がポンポン飛び出して、素人の私にとっては初めて聞く言葉も多く、聞き取るのが精一杯で漢字では書けずに、ノートには「ひらがな」で書く始末。現在も、そのノートは大切にしており、時々取り出して、認知症の特徴や、母への関わり方が間違っていないかの確認をしているほど、宝物のノートです。
そのノートを元に、研修会の内容を書き連ねます。

増田末知子さんは、脳外科・精神科の看護師、衛生看護科立ち上げに関わったり、総合病院の総婦長を歴任されていましたが、患者家族の「骨折は治ったが、認知症が治っていないので家に連れては帰れない」と言われた。

「認知症について」をアメリカの老人医療の調査と研究に行ったり、オーストラリアにも勉強に行かれた。その時点で、十〜二十年、日本は遅れていると感じた。

認知症の予防は出来ないものかと病院勤務を辞めて、現在のグループホーム形式の予防教室合宿型を始めた。初期の認知症の方々だから、一緒に、散歩したり、絵画、書、脳活性化ゲームをして、スタッフは、夜には帰宅できるだろうと思っていたが、想像以上に大変で、個性豊かな方々で帰宅できる状態ではなかった。月〜金は、日直、当直、土日に帰宅するお仲間さんたちと一緒に、やっと帰宅できた。

スリーAでは、参加者の方々を「お仲間さん」と言う。

合宿型での色んな方のこと

☆ 胸に風が吹いているから、抱いて欲しいと言ってくる方。
☆ 徘徊するかた
☆ 妄想…夜に見張りの仕事をしていると暗い中に突っ立っている→交代が来るから帰ろうと声をかける。
☆ 寂しい…本人も介護している自分も寂しい→介護地獄を味わった
☆ 卒業して何年か経って入院した方を、見舞いに行ったら、別人のようになっていた。認知症は5年後に急激に悪化する。

合宿型以外の食い止め策を考える
→認知症前段階・軽度は戻る

介護予防・認知症予防は、生活支援事業で、医療の分野ではないが、認知症予防・認知症判定などはドクター以外出来ないと、ドクターからは大反対された!

スリーAの基本活動
☆ 保健予防活動。優しくにこやかにかかわる。
☆ お年寄りから笑顔を取り戻す仕掛け人になろう!
☆ 笑って仕事をする
☆ 認知症の方から、些細なことからでもエネルギーをもらう。
☆ 健康な人の中に、ちょっと可笑しいグレーゾーンの人が居る。
☆ 歳のせいの物忘れではない、脳機能が衰えている人を見つける→予防的判定で出来る!
☆ 脳機能を改善するには、予防教室を開く→徹底して良いかかわりをする

認知症(ここでは高齢になって脳を使わなくなったなどで発症する廃用性)について
☆ 予防は出来るのか→進行を食い止め、悪化を先送りできる。脳機能が崩れているのを元に戻し、改善させ、横ばいにする
☆ 認知症は治らない→前段階で食い止めたい
☆ 記憶・理解・判断力が衰える
☆ 寂しい病→頭を使わなくなった
☆ 初期→歳のせいとみられる状態かどうか明らかにする
☆ 中度・重度になると→福祉分野
☆ 物盗られ妄想→2年後悪化
☆ 全体を忘れる(食事したこと)
☆ さかのぼって期間を忘れる(年齢を若く言う)
☆ 忘れることに病歴がない(努力する気がない)
☆ 取り繕う(言い訳・他人のせい)
☆ 良い格好しい(他人・同居していない子ども)
☆ 何回も同じことを確認する(記憶が悪く、不安が強いため)
☆ 社会性はある

悪化する原因→恐怖・不安・寂しさ
☆ 入院(骨折・肺炎など)
☆ 近親者・近隣者の死亡
☆ 離別・のけもの・心配事

認知症患者の日常生活
☆ 本人がしたい、楽しいことをする
☆ 役割がある
☆ 運動・散歩
☆ 生活の確保→衣食住を整える

初めて聞く話ばかりで、私の胸の中にあたかも干天の慈雨のように染みとおるお話ばかりでした。書き漏らしたことは思い出すことも出来ない膨大な、経験に基づいた納得できる内容で、宿に帰っても復習と記録で、休む間もありませんでした。つづく
(福井恵子)