スリーAが第12回日本認知症ケア学会大会のワークショップに登場

第12回日本認知症ケア学会大会のワークショップ
〜日本認知症ケア学会同行記〜

福知山市認知症予防の会
 村岡洋子

 これはまさにエポックメーキングな大変な出来事だ、と取るモノもとりあえず、大急ぎで日本認知症ケア学会へ入会し、大会参加の届けを出し、横浜に向かいました。
港横浜の埋め立て地にそそり立つ会場、パシフィコ横浜は、3つの建物を縦横に駆使して地図とプログラムを片手に目指す会場を探すのに息を切らせて駆け廻る運動会さながらの設営でした。
 その一画の第2エリア「会議センター」3FC会場で、このワークショップが開催されました。
PPを用いた最近の講演形式では、データが全く残らないからという理由で、印刷した3種のデーターと機関紙などの資料の持ち込みを許可して頂きました。70席が用意されていた会場には時間前から、参加者が次々と参集され、一時は140名を超す状況で120部用意した資料もあっという間に総てがなくなってしまいました。
運営スタッフの方の取り仕切りで最終的には100名ほどに落ち着いたようです。

 高林理事長は、認知症の母上の介護体験、その後の訪問ボランテイア活動で出会った家族介護の状況を通して、認知症を病む人たちの痛切な思いと家族の血のにじむような介護の状況を何とかしなければ、と願い続けた時にスリーA方式の予防教室に出会ったいきさつをつぶさに語られました。
 スリーA教室の解説と方法論では、第一次、第2次、第3次予防の各段階で、それぞれにきわめて高い成果を挙げていることを資料の図表と、体験に基づいて説明し、特に、スリーA方式の三つの要素「脳活性化ゲーム」、「笑いの効用」、「優しさのシャワー」について丁寧に言及されました。

 ゲーム体験は、会場にぎっしり一杯の参加者であったため、輪にはなれずに前を向いた講演会形式のままの形で行われましたから、“ゲームその1”と“ゲームその2(ただしお手玉回しは抜きです)”だけしか行えませんでしたが、それで十分意を尽くしていて、好意的な、且つ「理解ができたぞ!」という表情と、且つ心からの笑いがあふれて会場は次第に一種独特の楽しさの雰囲気に包まれていきました。

 認知症介護の、或いは、高齢者レクレーションのプロ達を前にして、高林さんが特に力を入れられたのは、一見どこででもやっているような単純なゲームの中に一杯隠されている「優しさのシャワー」を惜しみなく引き出し、お仲間さんに正しく伝え受け取って頂くための声掛けとゲーム運びについての丁寧な解説でした。
 間髪を入れずに褒める、具体的に褒める、うまくできて褒められて自信が取り戻せた上で、みんなが失敗する仕掛けで安心して心から笑う——脳活性化と癒しと笑いが一体となったゲームの真価を最大限に発揮させ得る声掛けと進め方は、さすがにプロである今日の参加者さんにしっかりと受け止められたという手応えが私にも感じられて嬉しくも頼もしく思えました。
 スリーAの予防教室の真髄は「優しさのシャワー」であり、さらにその真髄はゲームの中にちりばめられた「優しさのシャワー」を引き出し受け止めてもらって自信とその人らしさを取り戻すこと——-、
 認知症ケアの学会へのデビューとしては、まずこの上ない成功であったと思います。
 ワークショップは、高林さんの
「この認知症予防レクリエーションゲームをそれぞれの持ち場で拡げてほしい」 
という言葉で終わりました。

 今回の日本認知症ケア学会への出演は、NPO法人側から働きかけたのではなく一見、天から降ってきたような感じでもたらされ、私は、インターネットで「日本認知症ケア学会」を引いたりしたのでしたが、2009年12月2日、湯島コンセプトワークショップで実質発足した東京での「スリーA方式認知症予防フォーラム実行委員会」の第1回目の会合に参加された時田さん(学会の関係者)の強力なご推薦によるやに察しています。
「スリーA方式認知症予防フォーラム実行委員会」の方達と高林さんの交流はすでに長い歴史があり、高林さんのひたむきなスリーAへの情熱が東京の人たちを動かして、スリーA方式認知症予防フォーラムが開催され、学会へのワークショップへの参加が実現したのでした。
 
 高林さんのどこへでも行く、最大の努力を傾けると言う一貫した姿勢は、これまでにもいくつもの奇跡を生んできましたが、思い続けていれば、いつか光がみえてくる・時が来て実現するという当然の帰結であったのかもしれません。

 一方今年米子市で開催された9月の9日〜11日の「日本認知症予防学会」では、スリーAの文字は有りませんでした。しかし、認知症ケア学会でスリーAは、堂々と登場してしまったのです。
 私達の今後の活動は、二つの学会を見て、スリーAを認知症予防の最前線に位置づけていかなければならないのでしょう。