東日本大震災津波・原発被災地訪問 その1(気仙沼・岩井崎)

2013年7月3日〜12日
東日本大震災津波・原発被災地にスリーAゲームでお見舞い

3日…JR新幹線大宮駅から隣の席に座るはずの友人は、JR高崎でのアクシデントで一ノ関駅に1時間遅れ、待ち合わせてバスで気仙沼に向かう。気仙沼駅では、ボラ宿主人が出迎えて下さり、そのまま被災地巡り。噂に聞く被害の大きかった「岩井崎」と「避難所ごと流されその慰霊碑」を希望。

そこは気仙沼の太平洋先端にあたるのか?白波が岩にぶつかっていた。案内板によると、大震災前にはもっと高く潮吹きのようにあがる名所だったようです。そして、被災地気仙沼象徴「竜の形の樹」が1本残っていた。それもそのうち枯れて倒れるだろうとボラ宿主人。

奥の松並木は美しい姿を残していたが、海水浴場や釣り客、美味しいもののメッカだったらしく、民宿・ホテルが多く建っていたが悉く流され、見えなかった湾が見えるようになったそうです。やっと再建された民宿は毎日満室とか。

気仙沼出身の力士の銅像が太平洋を指差し建っていたのは、無事でしたが、土台が傷んでいて津波の大きさが眼に見えるようです。

避難所で、土地の方々がみな避難されていたところが、全て流されてしまった近くに、慰霊碑がありました。良く日の当たる場所なので苺栽培農家が多くあったそうでしたが、波が来るなら「こっち」だと予想していたら反対から(リアス式なのでのこぎりの歯のようになっている)来たそうです。慰霊碑の裏には犠牲者の名前が彫られていました。それを指差して「ここからここまでの7人が姉さんの家族だ!」と宿主人。避難所のすぐそばには、ボラ宿主人のお姉さんの嫁ぎ先があり、家族7名も流されて、高台に買い物に行った高校生の娘だけが助かったとのこと。辛い現場に連れて来て下さった宿主人に申し訳なかったことをお詫びしました。まだ見つかっていない7名中4人が居ることも知りました。

松並木