大震災・津波・原発 訪問その3(大船渡・居場所ハウスでゲーム)

居場所ハウスでの脳活性化ゲーム

→自然の中でゲーム 1〜10

居場所ハウスの庭で、お仲間さん(参加者)35名、スタッフ7~8名の多人数での開催、椅子はサポートセンターからも運ばれましたが、全員が座れずに、スタッフは写真・お茶班として周りで参加。

→グーパー体操

男性陣も大きな声で掛け声もかけ、歌も歌い、大声で笑ってくださいました。空は薄曇りで自然の中でのスリーA方式脳活性化ゲームは はじめて…良い気持ちでしたが、隅々まで声が通るか心配でしたが、「私の声が聞こえますか?聞こえる方手をあげ下さい」みなさんの手が挙がりました♪

→どじょうさん

「水分補給をしましょう〜」と呼びかけるが「始まる前にお茶を戴いたから大丈夫だ!、続けたい雰囲気でみなさんお元気な方々なので、スピードアップして最後のじゃんけんタスキとりゲームを室内でやることになりました。

→シーツ玉入れ

一回ずつ体験してもらいましたが、やはりこれは二グループでの対戦にならなきゃ真剣になれません!暑くなってきたのも原因でしょうか、いまひとつ盛り上がりませんでした。

→最後のじゃんけん!ニコニコ笑顔でジャンケンポン!!

優勝インタビューをしてゲームは終了でしたが、この後の「おぢゃっこ」が〜〜美味しかったです。

黒糖の皮とお餅の二種類のお饅頭。お一人でいっぱい蒸して持参して下さった方、蒸しパンと普通は呼ばれている聞きなれない名前の黒糖味。戴いてくるのを忘れましたが、美味しそうでした。蕪ときゅうりの漬物も出てきましたよ。みんな手作り、自発的に持参して下さるそうです。

なお、この居場所ハウスは、被災者のためにとの名目ですが、此処では、仮設住宅と復興住宅(アパート形式)、地元民との架け橋にして、アパート形式に住んだことのない被災者と、アパートが建つ地元の方々と被災者が入居する前から交流をして頂くことで、お互いがスムーズに気持ち良く不安なく過ごせるようにと、復興住宅の見える場所に決めたと聞きました。

美味しいものは地元の方々が作って下さったそうです。ご馳走様でした。

居場所ハウスの奥には、畳のお部屋とその前に木のぬくもりが温かいテラスのような月見台がありました。

なお、この居場所ハウスは、古民家風、古民家から提供された柱なども使われていて、地元ととの違和感無い造りになっています。まだ看板がなく、いろいろこれから使い方など模索が始まるそうです。

被災者の方々の心からの笑顔が出る日が一日も早く来ますようにと祈りながら、素敵な居場所ハウスを後にしました。

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その後、熊谷さんの案内で大船渡の被災地、ご自宅の在ったところなどを見せて頂き、お昼は「スペシャル海鮮丼」、碁石海岸近くの断崖絶壁かと思われるような高台なのに、津波は2mの高さまで来て、いち早く改修して、再開されたお店だそうです。

三陸海岸の6・7月はうにが旬、と聞いていましたが、さかなの駅(魚屋さんが多いマーケット)にもなく、大好きなうにが食べられないのか…と残念に思っていましたが、食堂では「今日はうにがあるよ〜良かったですね〜」お店の方も喜んで下さりラッキーでした。後の情報では、うにを獲れるかどうかは海と相談して、漁業権を持っていても毎日は獲りに行けないそうです。

デイサービスでゲーム

お昼からは、サポートセンターの向いにある、社会福祉法人典人会のデイサービスでのゲームでした。

同行した森田さんは、認知症の方との触れ合いは初めてだったそうで、居場所ハウスで行った健常者とのゲーム、デイサービス利用者さんへのゲームの進め方の違い、何度も同じことを聞いてくる利用者さんに驚いておられました。

手の不自由な方、身体が思うように動かない方、認知症の方、いろんな参加者さんでしたが、呼びかけにも聞こえない小さな声での話をされる方も、歌の時には唇が動き、手指体操・リズム・お手玉の時にも一生懸命に合わせる姿に感動をしました。

スタッフの方を交えて19名の和になりました。

「ボケている病気のことは何というのですか?」と健常者かと思われる方から質問を受けました。認知症という病気であること、関わり方で穏やかに過ごせることをお話しましたら、みなさん頷いて納得されたのかな?と感じましたが、お茶の時に、その方は、何度も何度も同じ質問を森田さんに浴びせておられました。

森田さんは戸惑いながらも、優しい笑顔で何度も同じ答えを言っていました。

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大船渡からの帰りにも、大周りをして被災地を案内してくださり、リアス式海岸を身近に感じた時間でした。

「過去の津波到達地点はここまで」(東日本大震災のこと)の看板が道路のあちこちにありました。車が通り過ぎる直前にあったと思ったら、すぐまた目の前に、違う方向からの「到達地点ここまで」の看板が出てくるという状況があちらこちらに〜〜〜

↑この説明で読んでくださっている方はおわかりにならないかもしれませんが、それがリアス式海岸の地形だからなのです。大船渡だけでいくつもの湾がありぐるっと回った道路があるのか〜なのです。

陸前高田は、大きな港があり、何百本の松林と大きな平地があったので、湾からの波が松並木と平地の全てをのみ込み、高台にぶつかり引いて行ったのです。そして残った一本の松がレプリカで遺され今はライトアップもされています。