2014年第二回東北支援の旅、2

東日本大震災東北支援の旅、第1回記事からずいぶん経ちましたが、続きを報告します。(運営委員 福井恵子)

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2月6日&7日仙台市内仮設住宅でゲーム

昨日と同じニッペリア住宅へ、スリーA聖和会仲間5名で伺いました。

お会いするなり、早速、昨日のことを覚えていて下さり、「頭にあのつく言葉を布団に入り考えた、たくさんあるよ〜みんなとやっているときには、なかなか浮かばなかったのに〜」と今日はお仕事で来られない方が言ってましたよ〜とのことでした。嬉しいですね!覚えていて1人のときにも考えて下さる、脳が活性化するのですから〜

私たちは5人、参加のお仲間さんはお忙しいのか出入りがあり、15〜17名の輪でした。
今回は、養成講座の実習にもなるように、修了生お一人ずつリードをして頂きました。最初は一番若いKさん・Gさんにその1を、Tさんにその2リズムを、お手玉回しはIさんなどと割り振りました。
皆さん上手にリードをされていて、安心でした。もちろん上がってしまわれて説明は不十分、歌の入り具合や、全員の方を見渡して進ませ具合を測るタイミングはとれなくて苦労をされていましたが、それがなけりゃ〜上手くなりません。場数を踏んで頂くことがリーダー進歩のコツなのですから!

おぢゃっこには、お野菜の浅漬け二種類と大学芋を振舞って頂きました。お茶を頂きながら談笑でした。

仙台の海岸の被害状態を見せて頂いた後でしたので、仮設住宅に入居されている方々のご苦労を考えていました。もちろん判るはずもなく知る由もありませんが、一日も早いご自宅再建を祈るしかありません。

終了してからは、私ごとですが20年ぶりの訪問になる身内の家(仙台市泉区)に参りました。そこでは船乗りを退職し、ボートの運転免許教習所(本名称は…?)教官をしている方の3・11当日のこと、もしも一日ずれていたら、船に乗っていたときの津波の恐ろしさなどなどお話を聞かせて貰いました。

3・11当日は、珍しく夫婦二人で自宅にいたが、大きな揺れは何が起きたか知る手だてがなくて、自家用車のニュースで知った。余震が強くて一晩車の中で過ごした。高台の住まいなので津波の心配はなかったが、水道・電気がなくて大変だった。お風呂は何回か知人の家で入らせてもらった。寒い時期だったので、石油ストーブの1台が、電気を使わずに動くものだったのでとても助かった。暖房はそれ一台だった。

ご主人は、3・11前日10日は、福島県いわき市の海岸で教習教官の仕事、12日は宮城県石巻での仕事予定だった。1日ずれていれば如何なっていたか判らなかった…と運が良かったとご夫婦で顔を見合わせていらした。

ご主人の津波の怖さは、十勝沖地震の時だったようで、お仕事で船に乗っていて地震は海ではあまり感じなかったが、津波が来ることを湾内の船に知らせて、外洋に出ようと向っていたら、津波が真正面から来た。舵も何も効かなくて、湾内をゆらゆらゆらゆら流されたままだったが、運よく何処にもぶつからず、波で陸へ押し上げられることもされずに引き波で外洋に流されたとの話。とても怖かったので、津波の怖さは十分知っていたそうです。とにかく高いところに逃げること!だそうです。

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私は、3.11当日は大好きな舞台観賞、幕間にアナウンスで「東北地方に大きな地震がありました」と。遠くから観劇の方は、そのアナウンスで急きょ帰宅を急がれたそうですが、帰宅できなかった方も多かったと後々漏れ聞きました。私は仙台のお二人のことが気になり、仙台に電話をするが通じず、しかし他から地震では無事の知らせを聞き一安心でした。留守番の母が大きな地震ニュースを見て、驚かないようにTVは止めてDVDを見て貰うように夫に頼み、帰りを急ぎました。

悲惨な状況のニュースには落ち着いて見て居られなかったです。母は関東大震災を茨城県で経験して小学生だった母は腰を抜かして動けなかったことや、東京へ奉公に出ていた親戚の方は何日か後に幽霊のように着の身着のままで帰ってきたことを思い出しながら話すのを何度も聞いていました。また阪神大震災の時には京都南部の自宅で、寝どこで「関東では凄い大きな地震だったのだろうか?」と震度4の揺れを感じて言っていました。

そんな母へこの東日本大震災・大津波・原発事故に関するニュースは見せない、知らさないことにしました。健康なものにも驚く映像、信じられない災害の大きさですから、母の記憶にある関東大震災を思い出させて混乱させるのはお断りです!

母の楽しみのテレビは、夫が録画をしていた美空ひばり特集でした。延々何度も流していましたが、懐かしいねぇ〜と手拍子を打ちながらハミングしたりして楽しんでいました。酷い映像を見せない、これもスリーAの「優しさのシャワー」です。

歳を重ねることは・・・大きな災害を何度も見聞するものですね。母は小学生5年茨城県在住時「関東大震災」、京都在住で「阪神淡路大震災」(父が入院中で・朝食もそこそこでタクシーを飛ばして病院に駆け付けた元気な母でした)、そして知らせなかった「東日本大震災」三度の大きな地震でした。

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2014年3月11日でこの震災は丸3年がたち、4年目に入りましたが、まだまだ完全復興には至らず、これからも続くでしょう。一刻も早く、被災者の方の全員に笑顔で暮らせる日が待ち遠しいです。

七郷中央公園仮設住宅は、再びの訪問です。皆さんとても楽しみにしていたよ〜と笑顔で迎えて下さいました。

今日も養成講座修了生に(その1)と(その2)をお願いしました。
自己紹介は、左の方のフルネームを紹介して、自分のフルネームを言いました。その1(自分だけでやれるウォーミングアップ)は、1〜10、難しい1〜10、1・2・3〜数え歌、グーチョキパー、かたつむり、茶つぼ、グーチョキパー。
その2(お隣とのコミュニュケーションをとり、運動量が大きくなる)は、リズム運動・2拍子・易しい3拍子・3拍子、お手玉回し、どじょうさんでした。

少しリズムに乗れな方がいらしたので、3拍子は、自分の膝を二回叩いて、右隣の方の左膝、自分・自分・左隣の右膝と3拍子をはじめにしました。その3拍子が上手に出来ましたので、自分・膝・前で手をチョンと叩く、自分・左・前で手をチョンをやりましたら、出来ないかと心配でしたが、上手に揃いました。

途中で、移動販売の魚屋さんが今日で訪問販売はおやめになるとかで、ご挨拶にいらっしゃったり、乳酸飲料の訪問販売の女性、パン屋さんと入れ替わり賑やかでした。集会所まで届けて下さった乳酸飲料の販売の方に、輪に入っていただいたりしました。

その後はお茶のみ会でした。とても良い雰囲気の集会場で、毎日午後5時まで自由に出入りできる居場所になっています。必ず自治会長さんやサポートセンターの方が詰めていらっしゃるそうなので、入居者の方々も安心できる場所のようでした。

また訪問の機会を伝えて仙台を後にしました。
(2月8日、気仙沼訪問につづく)