2015年8月9日、午前午後
全体会のテーマは重い
〜水俣から福島へ“希望”をつなぐ〜
案内文から
東日本大震災と福島第一原発事故から4年の月日が流れました。
震災後、福島の人たちの置かれた状況に思いをはせ、
微力でも何か出来ることはないかと、
2012年(二本松市)と2014年(郡山市)に福島県で
Weフォーラムを開催しました
今年、水俣での開催を決めたのは、
福島と水俣の若い世代の出会いがきっかけになっています。
分断されたつながりを回復しようと≪もやい直し≫を
試みる水俣の人たちとともに、
水俣と福島の≪いま≫と≪これから≫の暮らしを知り、
語り合う機会にしたいと考えています。
不知火海沿岸に位置する水俣は、海の幸・山の幸に恵まれたところです
今回は、山から海まで、水俣をフィールドワークでゆっくりじっくり学びます。
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8日の一日目は≪海のフィールドワーク≫でした。
9日は、全体会と分科会①②③あります。
NPO法人認知症予防ネットは、分科会③でした。
10日の最終日には≪山のフィールドワーク≫
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全体会のテーマは
≪もやい直し≫
〜水俣と福島のこれからを語ろう〜
第1部:杉本肇さんのお話
杉本肇さんは、その症状のみならず
地域社会から過酷な差別と迫害に苦しむ中で
水俣病を「のさり」(授かりもの)と受け止めた
水俣病患者・故栄子さんの長男。
1961年生まれ、一度は離れた水俣に戻り家族でイリコ業を営む。
2008年より水俣病資料館語り部として活動。
14年前にコミックバンド「やうちブラザーズ」を結成。
メンバーは兄弟と親戚関係(水俣では親戚の事を「やうち」と呼ぶ)。
福島第一原発事故後「もっと早く水俣で起きたことを発信し
注目してもらえていれば、原発事故は起きなかったかもしれない」
との、思いで水俣と福島をつなぐ活動に取り組まれている。
◎福島との交流を続けている理由は、
3.11は衝撃、原発事故も衝撃で、福島の子どもたちに申し訳ないことをした。
これは大人の責任。自分は40年間逃げてきた。
◎祖父母・両親2人家族は、重症の認定患者。
◎水俣病が発生して59年
◎差別、他人の目が怖い
◎小学校5年の時に、家の中には大人が居なくなった
入院や施設入居で。5人兄弟の長男、全部自分に降りかかった
◎大学生の支援者が来たが、漁業には使い物にならなかった
しかし、繋がっているだけで、人の心に安堵感を覚えた
役に立たない大学生にも寄り添ってくれている安心が
◎下の2人の弟は、寝る時にサロンパスを持っていた
上の弟がその理由を教えてくれた、
「2人は、母の匂いだと嬉しそうにしている」
自分は母が嫌いだった、身体が弱い母は、
生活を10歳の自分に全部押し付けたと
弱い母はいつもサロンパスを貼っていた
◎福島と水俣の情報を共有、現地を見るのが大切
◎避難している方々は「希望が無い」という
◎命をつないで行こう、何か良いことがある
◎命には、限りが有る、精一杯生きたい
◎水俣に生まれ育って良かったと言いたい
◎熊本県では、小学校5年で必ず水俣病の勉強をしている
◎鹿児島県川内原発は、水俣は近い
風の影響が怖い、台風銀座
◎コミック「やうちブラザーズ」
◎福島の書女と神主・コミカルに
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分科会③
分科会の①&②は、水俣のお話しなので、
私もそちらに行って聞きたかったです。
なので、関心を持つ方は居ないかも〜と心配していましたが、
県内包括支援センター・社会福祉協議会・水俣市内福祉施設へ、
案内状を300通、水俣在住の海のフィールドワーク案内の
永野さんが配布された300枚のチラシの効果で、
11名の方が参加して下さいました。
全く脳活性化ゲームを御存じない方々でしたので、緊張しました。
・施設に案内が来たので
・事務職から現場に配置されたので
・FAXで知りました
・デイサービスでのレクに役だ立つかと
・友人から「ゲームテキスト」を「これとても良いよ〜」と頂いたが
読むだけだとさっぱり理解できないので
・八代市の包括支援センターから3名の方
八代市の方は、一時間しか参加できないと言うので、
飛ばして飛ばして、
一時間で、最初の自己紹介・日付の確認・夢の旅行、
ゲームその1・2まで紹介出来ました。
その後は、ざっくばらんに質問を戴きながら、
頭文字ゲームをぐるりと二周廻り、道具を使ったゲームの紹介
最後に、たすき取りじゃんけんゲームでお開きにしました。