〜目的に向かって進もう〜

NPO法人発足までの経緯

1963年(昭和38年)
半世紀も前に『老人福祉法』が出来たが、デイサービスもショートステイも対象は「寝たきりと虚弱老人」だけ。認知症は蚊帳の外であった。

1972年(昭和47年)
有吉佐和子の『恍惚の人』が出て、世間の耳目を集めた。つまり、高齢化社会の入り口では、認知症は少数派だったことが分かる。誰もが無知、介護家族は手探りの世界だった。

1980年(昭和55年)
京都で「呆け老人をかかえる家族の会」が発足。一足遅れで入会し学びや慰めを頂いた。

1983年(昭和58年)
アルツハイマー型と診断されていた実母の在宅介護を終わった私は、認知症の在宅介護しかなかった当時の在宅支援ボランティア活動に、昼は働きながら、毎日の夜と休日の全てを投入して、認知症のために起きる最悪の悲劇を防ごうと、支援活動に打ち込んだ。ボランティアのみによる月2回のデイケア活動のコーディネーターも担当した。

1992年(平成4年)

ようやく日本に初めて認知症対応の3ヶ月合宿教室、「高齢者リフレッシュセンタースリーA」が静岡に創設された。

1993年(平成5年)
雑誌の記事で増田氏の認知症改善データ(MMSEで平均6.2点の上昇)を読む。
創始者増田末知子氏とは、ボランティアグループ「痴呆性老人デイケア運営協議会」(後に「ホームケア友の会」と改称)において隔月発行していた新聞「友の会だより」(編集・制作担当髙林)を、毎号無料贈呈していた読者の1人という関係であった。カンパを送金していただいた事もある。

2000年(平成12年)
4月1日 介護保険法制定によって初めて認知症に福祉の光が届き、予防が謳われた。
介護保険法第4条(国民の努力及び義務)
・国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。
・国民は、協働連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。

2004年(平成16年)
9月、NPO法人を立ち上げて、増田氏の教室で行われていた事業の中から、ゲームに特化して普及活動に本気で取り組んだ。

2008年(平成20年)
法人活動として、認知症予防ゲームのリーダー養成講座を開始。

2016年(平成28年)
認知症予防ゲームリーダー養成資格公認講師制度発足。

活動内容
増田方式の教室はテストを行って、参加者のレベルを発症軽度者やMCIレベルに限定されたので、医療の専門知識が無い者には許されない教室であった。そのため、一般人でも実施可能な認知症の一次予防に力点を置いた健常者レベルの老人会などでのサロン的な形態での予防ゲーム普及活動に取り組んできた。

その中で、必要に迫られて健常者と発症した人の混合教室での効果をあげる方法を独自に開発、ゲームの進行方法に工夫を凝らした結果、「みんなの認知症予防ゲーム」と呼称しているとおり、自ずと増田式ゲームとは違って状況の如何に関わらず、ゲームに使用する道具の工夫、扱い方も含め、全ての人たちに対応出来るものに深化し、地域、施設、会合など様々な場面でも活用されるに至っている。

今なすべき役割は何か
かつて認知症については偏見が充満していた。2025年問題を目前にする今日では、医学知識のある人は発症域に入った認知症本人たちの改善を担当すべきであり、医学知識の無い人は個々人の能力、または資格・何らかの専門性を活用して、一次予防に的を絞った予防教室を担当し、両分野に於いて、国民的理解を普遍化し2025年問題に寄与して頂きたいと、心底より願う。

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認知症予防は、学校教育法に似ているのではないでしょうか。専門分野の大学教官と、幼児教育と、どちらも大切で、それぞれが分野を担当しあって、全体のレベルが段階ごとに効果をあげるのと同じような事かなと思っています。各自それぞれ、己が力量の範囲で全力を尽くして、「みんなの認知症予防ゲーム」を活用されて、認知症予防の効果を高く上げて頂き、福祉国家の内面を豊かにして頂きたいと切望しています。