第6回東日本復興支援バスツアー参加報告

2012年5月12日〜13日
今回は京都府亀岡市Aさんと、埼玉県熊谷市 I さんと、私と、NPO認知症予防ネット会員三名が東京発の支援バスツアーに参加しました。お二方とも東日本震災へ、何か手を差し伸べられないかと考えていたようで、先月の報告を読んで次は一緒に参加すると申し出られました。
旅は不慣れで〜バスには弱いのですが〜のお二人でしたが、そんな心配も無く無事に帰ってきました。

一日目
福島原発事故強制避難者は、仮設住宅と、借り上げ住宅に住む方々と、分かれておられます。仮設住宅より借り上げ住宅は贅沢だと見られたり、借り上げ住宅には支援品が届かない、お隣の人(被災者ではない)との遠慮や複雑な思いを抱えておられるのが判りました。

篤志家が自宅を開放して避難者の居場所つくり、敷地の公園(花盛りの時には市民に開放されている)の手入れの職人として雇ったり、両親をなくした子供の支援などなど頭の下がる支援をされています。しかしそれも誹謗中傷の種になるが果敢に立ち向かって、遣り通しているとのことでした。
支援品を集めて、避難者のためのバザールもされていて、そのバザールの一部は子供のために使ったりもされていました。普通、支援品は無料でお分けするのですが、そうすると偏った支援になりかねない・・・無料であれば多くの品をひとりの方が持っていかれる、ですから少しの金額でも品物に値段をつけてバザールにしているとのこと。これが支援している陰で、儲けているという誹謗中傷になる!

そこのお宅で今回は借り上げ住宅での避難をされている方々のお話をお聞きしました。借り上げ住宅に住んでいる避難者の方々は、避難者同士の交流も無く、支援品も届かない、孤独のようでした。
NPOの方々がその輪を作られているようでした。

仮設住宅ではなく、借り上げ住宅の方々との交流は初めてのことだったようです。避難者のお一方が「あなた方はどんな話を聞きたいのか? 目的は何だ?」とまずこちらへ質問されました。その場では、避難者の方々が5人、バスツアー総勢20名、興味本位と受け取られても仕方の無い状況でした。2,3人がお答えして納得されて、話し出されました。

1年2ヶ月たったが、まだ足がふわふわして地に着いていない落着かないんだ! 大きなことがあると 最初は無我夢中、次には不安、そしてよし!と力が湧いてくる、そして立ち上がって行動に移す・・・このようにならない。不安を拭えなくてどうしようもない状態だ、と話されました。
ご自身は、原発建設に従事して、あちこちの建設に携わってきた。安心安全神話のなか、こんなことになってしまった。やりきれない思いばかり。

帰宅指示が出されても、商店は再開されない、鉄道も、道路も・・・ライフラインも駄目、水がない(放射能汚染されていて使えない)ので、帰宅してもどうにもならない。と声を震わせながらお話してくれた方、兄はまだ原発の中で冷凍食品をかじりながら作業しているんです! 60歳以上の方ばかりではないんですよ〜若い方もいらっしゃいます。現場の作業している者を責めないでください。

仮設には犬を連れてはいけないので、犬を連れて行ける住宅を探して探して借り上げに入っている、犬には癒され助けられている。弱った父は声にならない声で犬に話しかけて、元気になった・・・今は施設にお世話になっている。
美容院を経営していた、はさみひとつで仕事は出来るが、少しのお金でも入れば、途端に補償費が打ち切られる、その補償費を切られると生活できない!

涙ながらの色んなお話が出て、お別れするときに「あ〜すーっとしたぁ〜」と笑顔になられたのが印象的でした。愚痴を聞いてもらえたことで少しでも不安解消になれば嬉しいですが、まだまだ原発事故の後遺症は続くことでしょう。目に見えない放射能を相手の生活を国策で早く解決されることを祈ります。

勉強不足ですが、原発の避難地域によって 何故か差別される事態もあるようです。この地区の人は、此処では購入できない・・・なぜそうなるのかは聞き漏らしましたが、不可解なことも多くあり、みなさん悩まされているようです。

福島土湯温泉街の取り組み
16軒有った旅館が、10軒になり閑散としている土湯温泉街。こけしが有名です。盛り土をして建てられた旅館が大きな被害を受けて廃業をされたそうです。

街を歩いてみました。あちこちに足湯、湯気が上がっている熱い温泉がそこかしこに出ています。湯量の多い温泉地のようですが、お土産屋さんって旅館の前にあるのですね。廃業した前のお土産屋さんも店じまいされている。5,6階建ての大きな旅館は、布団の山が見えたまま閉じられている。建物自体はそれほど大きな被害は出ていないように感じるが、福島の名前が邪魔をしての風評被害が大きいそうです。
私には何も出来ないですが、早い復興を祈るのみです。

土湯温泉は、さらさらの透明のお湯ですが、つるつるになりました。温泉地で泊まるのも復興支援の一環です。

2日目
福島土湯温泉から、東松島市海岸仙石線(仙台と石巻を連絡)、のびる駅から東名駅の線路沿い(線路は一部取り除かれている)をバスが走る。のびる駅付近の田んぼには水が張られて、今年は田植えをしたそうです。去年は津波のために海水で田んぼや畑には稲や野菜は植え付けられなかった。土を換えての田植え…美味しいお米が出来ますように。

東名駅は前回みたときには…海は何処にあるのかしら?と感じたほど遠かったのですが、すぐ近くに海がありました。地震で1mも地盤沈下した場所に、満潮で海水が入ってきている! ぽつんと残されている一軒の家は海の中に建っている! 

のびる駅・東名駅あたりの海岸は、夏には仙台からの海水浴客が多く来ていたそうです。風光明媚な土地だったと。

海岸よりすぐ山手に修復されたグループホームはあるのですが、人が住めなくなった場所での存続はどうするのか?という問題も出てきているそうです。

地震・津波被害者の住む仮設住宅は、前回と同じところです。前回は寒かったので集会所でのパラソル喫茶でしたが、今回はお天気もよいので、青空の下パラソル喫茶の設営から準備をしました。ただ…風が強くて、途中でパラソルは飛び、お菓子を盛ったお盆ごと飛ぶ、机も引っくり返されるという賑やかな喫茶でした。

ひとつのテーブルが設置されると同時にお客様がお見えになり、それを合図に次々と集まってこられました。

青空だったからか、みなさん笑顔でした!
「どこからきたの?」とお国言葉で「京都から〜」「あら〜朝早く出たのでしょう? 遠いところをありがとうね〜 ご苦労さん」などと労っていただくのはこちらばかり・・・

「コーヒーが良いですか? 紅茶・お茶も有りますよ〜」
コーヒーはこだわりの粉と分量と淹れ方で淹れたてです!
「砂糖もクリームも好きなだけどうぞ!」
「あ、今日は京都からお抹茶も点てていただけますよ!」
「あら珍しい、お抹茶にしようかな?」
「じゃぁ私も〜〜」
次々と注文がありました。お抹茶を準備してくれたAさんは大忙しでした。
「京都から来たって人はどなた?」
ご指名を受けて、テーブルをかわったり。話が弾んで、接待は人任せでしたが、色々なお話が聞けました。

前回、この場所での交流は、賑やかだけで地震や津波の話は殆ど聞けませんでしたが、今回は、競って(?)話が出ました。

・地震が来たので、お父さん(ご主人)とすぐさま避難することにした。近所のお年寄りたちに「避難しよう〜!」と声をかけるが、何のことか判らない顔をして、「良いよ」と言うのを無理やり車に乗せて、高台へ向ったが、すぐに渋滞になったので、歩いた。避難指定場所の小学校に着いたが、体育館が避難所だからと校舎より下にある体育館に入った。・・・後で聞いた話ですが、児童を帰したあとは校舎に鍵をかけたそうです。・・・

その体育館にも津波は押し寄せてきて、大人の胸くらいまで来たそうです。幸い二階に上り助かった方々、カーテンを引っ剥がして、手すりを壊して、お父さんは何人かの人たちを助けあげた。水にぬれたまま寒さに震えながら、水の引いた体育館から校舎に移動した。校庭には瓦礫があり、人が歩けるようにしながら歩いた。校舎でも何にも無いし震えるまま過ごした。・・・体育館の水が引いた後のことは彼女は仰らなかったが、他の方が話されました。大変な状態だったそうです。体育館まで避難してきた方々なのに、そこで水死された。そこから移動される人たちはその姿を目にし、その方々を掻き分け体育館から校舎に移動されたそうです!
校舎は前述のように、児童を帰した後は鍵をかけていたので、体育館から移動された方々は鍵をあけてもらって入ったようです。
校舎で避難されていれば、助かった命を無駄にしたことを聞いて驚きと怒りを感じました。

この話を淡々となさることにも驚きですが、辛い思い出を口に出して話して、少しでも心が軽くなるようなら、聴いている私は共感で、淡々と聴くしかありません。

・町中の瓦礫処理に、自衛隊が入ったが、自宅を流されたので、少しでも何かが残っていないかと探し回るが、入っては駄目だと言う。ある日、瓦礫の下から人が出てきたんだよ〜多くの人が見つかった。

この話をされたのは男性でしたが、これまた淡々と…着の身着のまま、何日もそのままで体温で着物は乾いた。親戚が心配して見つけに来てくれて、しばらくはそこで暮らしたが、やっぱり気兼ねで早く仮設住宅に入りたくて、一番に申し込んで一番に入った。

しかし、早く何とかしたい! 仮設での生活は息苦しい、大声で叫んでみたいよ〜 シャワーの音も気にしながらなんだ。夜遅くまで起きていた翌日、隣人が、昨日は遅くまで起きていたねと言う、よくわかったナァって聞くと、壁に隙間があって光が漏れている…やんなっちゃうよナァ〜

・土地80坪を30年間無料貸与してくれるという、その土地に家を建てろというが、補助は250万円、なんの足しにもならない〜といって仮設住宅での暮らしの二の舞になるのもなぁ〜 集合住宅にも入りたくないしナァ〜

スリーAと仮設住宅
いま、私たちに出来ることは傾聴の時期なのか? 
もっと親しくなって話すことも尽きれば元気が出るスリーA予防ゲームを取り入れて、指先から腕、大きな筋肉お隣とのタッチ、大騒ぎのどじょうさんゲーム。かしら文字、じゃんけんゲーム、シーツ玉入れなどで、体を使い、頭を使って、生きる気力をつけていただきたいと強く感じる!!

福島の土湯温泉での参加者交流会では、NPO法人認知症予防ネットの目的と予防ゲームの意義を自己紹介の時に説明をして機関誌とチラシを配る。

その中に「グループホーム」の代表者と職員さんがおられたので
「スリーAをぜひ取り入れてください。私たちはお年寄りに笑顔を取り戻したいと願っています!」
とゲームのテキストと理事長からのお手玉とリボンを贈呈。そんなに沢山頂いて申し訳ないからテキスト代だけでもとご寄付をいただきました。

また、「千葉でスリーAの講演を聞いた友人から、スリーAは素晴らしいと話を聞いたばかりで、スリーAをどのように取り入れたらよいのかと考えていたところです」
という方にも巡り合い、このめぐり合わせに感謝でした。もう一組のお手玉とリボン、テキストを使ってくださいとプレゼント。

仮設住宅でのスリーA認知症予防ゲームは出来なかったが、住民との交流・傾聴で、少しでも役に立たせていただいていることの喜びと、復興支援という形で信頼できる出会った仲間へ、スリーA方式認知症予防を伝えられたことが大きな収穫で、種まきが出来ていると、違った目的が果たせてよかったと思うことが出来て、疲れは吹き飛びました。

運営委員 福井恵子