気仙沼での素晴らしい出会い<2-2> 2012年9月30日〜10月3日

素晴らしい出会い 後半

*30日 牧沢住宅・水梨コミュニティでの医療支援、見学・話し相手に。

医療支援の実情を聞いて胸が痛んだ。

仮設住宅での医療は皆無で、自家用車のない方、高齢者、一人暮らしの方の医療は大変な状況にある。
牧沢住宅は、一番近いバス停が住宅より1キロはなれた山の下。大型車は入れない。冬場は、道が凍りつき、水道が凍り、住宅暖房は効かず、炬燵が唯一の暖だった。普段の暮らしも不自由、高齢者の多い地区なので、村上さんのコーディネートで、医師会の許可を得て、神奈川からのボランティアで駆け付けている岩井医師の隔週医療支援が実現している。
医師のサポートには、キャンナスのお二方。今回は特例措置で設置された「ひとり訪問看護ステーション」の菊池看護師さんも加わっておられた。

岩井医師、神奈川から金曜日愛車で必要なもの一式を積んで、8時間を超える旅を隔週ごとに、牧沢・水梨住宅、ほか個別訪問もされている。神奈川では「ペインクリニック」開業されている由。

飾らないお人柄で、どこにドクターがいらっしゃるのかな?と見渡しても判らないほどざっくばらんな方でした。受診される方への腰の低い事低い事、どちらが先生でどちらが患者さん?と思えるほど、優しく穏やか物静か。はじめて受診される方にも丁寧に説明もされるし、選択のときには確認を何度もされている。
医療支援ってお薬は出せない、貼り薬OK、注射OKだったかな? でも患者さんにとっては、あんな優しいお医者様から声をかけられただけで、治るのではないでしょうか?

集会所にはいらっしゃれない方のために、戸別訪問もされます。

血圧が200を超えたかたが見えた時には市民病院に繋げたそうです。高齢者って自分でも気がつかない症状があるのですね。

岩井先生…お昼御飯の材料も積んで、仮設のお台所で美味しい料理まで作って下さるんですよ! 今回そこに居合わせていてご馳走になりました。仮設の台所には、見慣れない調味料もあり聞いたところ、岩井先生が美味しいカレーを作ってくださったときのだそうです。また今度作るからと置いてあるそうです。岩井先生は男性です。色々と親身の活動に頭が下がりました、ありがとうございます!

菊池看護師(ひとり訪問看護ステーション日本唯一の方)、キャンナスさん看護師お二人。

菊池さんにNPOのパンフレットと名刺、リーダー養成講座の講義録をお渡ししたところ、
「私、この認知症予防をやりたい! 認知症についての講義を受け持っている。それに使いたい!」
「だって素人ですよ〜私たち」
「いいえ実践している人が強いのです。」
ともおっしゃってくださり、講義録を使ってパワーポイントで講義をしたいとも仰っていました。後刻、高齢者施設の施設長に会わせたいのでとの約束もさせていただきました。岩手県在住なので、スリーAがまた拡がります! イイエもう拡がりました!

キャンナスの方々も若くて優しくて、住民の方々への配慮も素晴らしくてその活動に頭が下がります。

*牧沢住宅、民生委員小野さん

 小野さん、岩井先生のお昼の支度の後を受けて仕上げます。そのお手伝いもちょびっとしました。彼女は動く動く… じっとしていない… 民生委員さんもされています。単身高齢者の多い牧沢ではひと時も休んではいられないほど、お忙しそうでした。集会所までいらっしゃれない方のために、小野さんがその確認して手配、岩井先生をお連れします。その場にも立ち会い、親身のお世話をされています。今回私は頭が下がりっぱなしでしたが、小野さんにも頭が下がります。

*手作りの昼食で懇親会・・・岩井先生・小野さんの手作りお昼でご馳走様でした。お昼の後は「温かいチャイ」も岩井先生指示でした。お一人暮らしの方への差し入れも出来ました。

菊池看護師から
「スリーAゲームと講演会、ゲーム指導をしてほしい…、 自分がするのではなく、スリーAとしてやれないかしら?」
 と相談されました。縁は不思議に良い方に進みます。次回の訪問時にはどんな状況になっているでしょうか? 楽しみです。

*岩井先生と一の関に戻られる菊池看護師さんを見送った後、キャンナスさんの宿泊所の仮設住宅集会場へ。彼女たちは寝袋持参です。こちらのキャンナスの若い方々にも頭が下がります。

彼女たちは温泉に、私はいつのまにか夜のライヴご招待を受けて、気仙沼市本吉にある清涼院へ。広島からおいでの大川看護師さん、骨折でギブスの足で飛行機・新幹線を乗り継いで気仙沼に。なんだか理解しないまま、
「福井さん、今夜予定ないでしょう?」
で「じゃぁ行きましょう」
あれよあれよと、清涼院へ大川さんと村上さんで行きました。

夜ライヴ 本吉町清涼院でブルースを聴きました。新井英一さん…どこかで聞いた名前だな? 京都の知人が「魂の歌」を歌う人がいると絶賛していたのを思い出して、このご縁も嬉しかったです。開始時刻になるまで大川さんと話しました。マザーテレサの話が多く出ました。また会場にはお知り合いが多くいらして、お隣の方と挨拶をしましたら、ちょっと話にくそうにされながら、お母様が可笑しいと話されました。母の場合を例えて軽い認知症の方への声かけなどをお話ししました。

台風17号が夜中にかすめて・・・

ボラ宿は「避難準備地区」の文字が〜。ご主人は
「大丈夫だとは思うが、万一避難勧告が出たら、高台の実家に行くので先に休んでおけ」
と雨風が弱くなるまで、テレビ前のソファで状況を見て下さっていたようです。感謝。

1日;水梨小学校住宅…台風一過で晴天

スリーAゲーム開始直後、とても賑やかになり、キャンナスさん、広島の大川さんも一緒にゲームに入ってくださって、大感激でした。キャンナスさんたちが是非スリーAゲームを体験したいと言われたので、村上さんが連れてきてくださいました。

若い方が入ると場が和らぎます。この住宅にも賑やかな方、楽しいリーダーがいて、笑いが止まらなかった場面があり、どのように止めるかが私の課題でした。

*午後「ポプラの木」デイサービスでデモストレーション!
 千葉じゅりさん・五右衛門住宅から助っ人吉田さん

要支援1・2の方のために「介護予防」サロンを始められたが、介護保険で支援の方々が来られることが少なくて、スリーAゲームをするのと見学会を兼ねてやりますとのことでした。
6名が集まってくださいました。ご夫妻が1組。前回こちらにお世話になったときに、是非スリーAゲームを導入していただきたいと、帰り際に超特急で手腕運動を置き土産にして、ゲームの道具もプレゼントしましたら、嬉しいことに千葉さんは取り入れて下さっていました。リードを盗み取ってほしいとお願いして始めました。みなさん楽しそうに、間違えてもよし、やらなきゃ〜とやりとおしました。

介護予防としてサロンをやりたいその志は嬉しいですが、需要と供給がアンバランスは駄目です。何か良い方法はないでしょうか? 優しい若い方々には、ぜひ良い方向に進んでほしいと祈ります。

2日 活動は終了して陸前高田の津波跡地へ

ボラ宿ご主人が、被災地見るなら「陸前高田」と仰るし、ある方は
「陸前高田を良く知る人が震災後尋ねたら、気分が悪くなり戻したほど、何にもなくなってしまって…」と。
お願いして同宿者と連れて行ってもらいました。

そこに本当に町があったのか? 大きな建物だけが残っている。港近くに4本のポールがあるが? あれは競技場か野球場の照明設備だ… 1年6カ月で草だけが茫々と伸び放題、建物の土台も覆い隠すように生えている。瓦礫置き場もある。防災センターと看板がある大きな2階建ての建物も屋根を通り越して津波は山に向かって(遡上というそうです)行ったそうです。

気仙沼には漁港としての活動が始まっているが、陸前高田にはその気配もなかった。動くものは、数台のダンプカーと自動車が通り過ぎていくだけでした。咲かせた花が植えられたプランターが数個置かれているが、それはもっと悲しい姿に見えました。
この町は、動き出すことが出来るのだろうか?

菊池さんから電話が入り、今どこにいらっしゃるの? 養護老人ホームの施設長にスリーAを話すと是非聞きたい、とのことで10月17日午前に一の関入りしてほしいとのことが決定!

*3日;10時からボラ宿・熊谷さんへの取材に付き合う形になる。
ボランティアの連携に力を貸せないかとNPOで雑誌を出しているとのことでした。

あっというまの一週間!

帰宅して、すでに1週間たち、記憶が薄れているので、迫力のない報告となりましたが、被災地の方々の想いと、ボランティア活動をされている方の力をお伝えしなければと思っての、時系列の報告です。素晴らしい出会いと、現地の方々の精いっぱいの生きる力を見せていただき、私たちの小さな小さな活動の、励みにもなりました。
次の出会いも楽しみです。

(運営委員 福井恵子 2012年10月11日記)