2012年12月17日~23日
17日
・秋田からNPO法人秋田パドラーズ(カヌー仲間)の三人、昨年の3・11直後から被災地の支援を続けていらっしゃる。
http://www.cna.ne.jp/~akita-pa/
南郷(ボラ宿のある地区)在宅支援もされて、被災者が秋田のお米作りへ参加など、交流を続けている。(HP秋田パトラーズで検索)
F理事長は美容師らしく、素敵!
M理事は仙人のような雰囲気ですが、ニコニコ素敵!
もうおひとりは、お話し上手で素敵!
・南郷地区のお世話係、Iさん、Mさん
とても明るくお料理もなかなかの腕前。秋田パトラーズの方々とも話が弾んで交流の深さが判る!
このお二方が、最終日の私に希望と勇気を与えて下さった。
・ボラ宿、実家の甥ごさん
半農半漁の跡継ぎさんで、今の時期「若布」が70cmで美味しいからと持参。IさんMさんが新若布のしゃぶしゃぶにしてくれて…味わった。磯の香りがあり、歯ごたえも色も美味しい…伯父さんと一緒で煙草がお好き(^^;
・自治会長さん
お酒がお強い、美味しい日本酒のお相伴に預かり、隣の私の器にはいつも並々と注がれていた(^^)
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18日
・21日予定の南郷地区のゲームは、18日午後に変更、ここの開催は、ボラ宿若芽・熊谷さんが声をかけて下さり、会場はボラ宿若芽・談話室。
(シーツ玉入れ・じゃんけんのたすきは千厩養成講座へ送付したためにゲームではやれずに残念!)
ゲームはその1&2までと傾聴。
在宅被災者の方々なので、仮設と違ったお話。
「仮設には配布される支援は一つもなくてと役所に文句を言うが<そのうち考えます!>と言われて、1年半」との怒り。
お隣地区からいらっしゃったお二人「自治会長が仮設住宅に移ったので私たちの自治会は休止状態で困っている、で、こちらの方との交流が唯一の楽しみ、これからもどうぞよろしくお願いしますね」。などと盛り上がる。
ことば集めで「お正月に関する言葉」で、「星の玉」が出て、関西に住む私は判らなくて聞いた→気仙沼では、お正月の神棚に供える?飾るのだそうですが、我が家には神棚がないために、始めて聞いた。
それは、A4サイズの紙が5枚組、7枚組などがあるそうです。必ず星の玉と呼ばれている 絵柄・・・ドーナツを無造作に書き一方に流れるような太い線、オレンジ?赤?色で描かれていて、その周りに各々、松・竹・梅が一枚づつあり、残りは、戎さん大黒さんの図柄でした(これは、私が正月にならないと見られないのね?と残念だと話したのを聴いて熊谷さんが5枚組を購入してくれたのを見ました)。また、自分で描かれる方もいらっしゃるとのことでした。神棚にぴらぴらと飾るのでしょう!
ゲームに参加した方々、みなさん礼儀正しくて(当たり前の礼儀かもしれないが)、コートを脱いで三つ指ついて深々と頭を下げておひとりおひとりへのご挨拶に…懐かしい故郷へ帰ってきたような嬉しい雰囲気で感激をした。
「今日は誘っていただきありがとうございました」
「ご無沙汰をしています、今日は宜しくお願いいたします」
などなど各自がそれぞれへのご挨拶なのである。
都会では(私だけか?)「こんにちは!今日は宜しくお願いします」と部屋にいらっしゃる皆に向かっての挨拶しかしていないような気がする。
お正月にはしっかりご挨拶をいたしましょう〜!と思った。
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19日
・ボラ宿主人熊谷さん…ヘビースモーカーが玉にきず、千厩駅(せんまや)への早い列車がないのでバスの時刻表を探していたら「おれ、送って行くよ〜」
雪の朝でしたが、送ってくださり「終わる3,40分前に携帯に電話をしてくれれば迎えにくるから〜」との言葉をかけて下さった。感謝感激。
・被災地特例ひとり訪問看護ステーション菊地優子(きくちまさこ)看護師
http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/item_32176.html
40年間大企業の職員健康管理をなさっていた方で、大震災後に特例で設けられた「被災地特例ひとり訪問看護ステーション」を立ち上げられた全国でお一人の方。先日ラジオでインタビューされたのがアーカイブで聴けます、こちらからとリンクしようと聴いたアドレスが不明になりましたので、いつかまたお知らせします。
菊地看護師さんとの出会いは、前々回訪問した9月末に私が「医療支援」の様子を見たいのと、待っていらっしゃる方の傾聴をさせていただけるかと伺った牧沢テニスコート住宅で医療支援のサポートに来られていた菊地さんと出会った。
その時の出会いは…私は衝撃的な嬉しい出会いだったのではっきりと覚えている。その時私は手元に名刺がなかったので「NPO認知症予防ネットのパンフレット」と「リーダー養成講座講義録(高林実結樹理事長)」を名刺代わりにお渡しして挨拶。渡した講義録をパラパラとめくって「私、これ(認知症予防)やりたい!これ(講義録)をパワーポイントに使ってもいい?」と即座に仰った。
勿論私たちは認知症予防ゲームを広めるために草の根運動をしているのですから異議などありません〜〜
「どうぞ、どうぞ、とても嬉しいです!理事長も喜びます」「介護福祉士2級の認知症についての講義を受け持っているので、そこで使いたいです」とも仰られた。
お昼御飯をご一緒して、菊地さんからの提案
「あなた、これ(認知症予防についての講座)やらない?実は私、忙しいから〜貴女方がやってくれると助かるんだ、そのほうが良いんだけど」
「えっ?私が?資格ありませんよ〜」
「資格なんて要らない!やっているのが重要なんだからね?先生?」と医療支援をされていた神奈川県からお越しの岩井ドクターに問われたら、
岩井先生も「そうだよ〜やっていることが良いんだ、どれだけやっているかだよ!」と後押ししてくださった。
「認知症予防ゲームトレーナーで良いんだよ」とトントン拍子で決まり、私が講義録のパワーポイントを作成して、養成講座決定という経過。
・岩井ドクターは、牧沢住宅(一番近いバス停までは、暗い細い雑木林を1km下った先にある…バスが住宅まで入れないから)の方へ、隔週の金曜日の夜に神奈川から愛車に医療機器を積んで気仙沼の牧沢に来られて、翌朝6時半にはボランティアの菊地さんや他の看護師さんのサポートで、住宅で具合の悪い方々への治療(内容は限られているが)を始められます。
http://www.aoba-ku.jp/iwai/aisatsu.html
気仙沼での医療支援活動ででみえてきた課題(岩井先生の寄稿文)
菊地さんほか、二名の方が申し込まれたので、開催の運びとなったが、時刻になっても来られない二名に勤務されている施設に問い合わせたところ、忙しくて出られない、明日には必ず参加するとのこと。会場が大きすぎるのでと、急きょ、菊地優子訪問看護ステーションの事務所へ開催場所を移すことになった。
一対一の講義になった。持参したパソコンでのパワーポイント講義は、巧く運んだと感じた。現役のバリバリ働いていらっしゃる看護師さん、それも認知症についての講座を受け持っていらっしゃる菊地さんへの講義は、緊張した。スリーA増田末知子さんからの研修内容「認知症について」は省こうかと申し出しましたが、「切り口が違うから〜聞きたい」とのことで…聞きかじりの研修内容を話した。
増田先生の研修内容を話すと、菊地さんは頷きながら、「一緒だ、私もそう考えている」と共感するものばかりだったようで、健康な人へは「ふれあいサロン」があり、介護保険にはサービスが色々あるが、物忘れがひどくなって放っておくと認知症になりかねないような方(脳機能低下段階)へのサービスがない「空白地帯」の話しになると、「私はこの段階の方のデイサービスをやりたい」。増田先生の認知症予防デイサービス「折り梅」の話しをすると、「それだ!」とまたまた共通する意見だった。
宿泊型のスリーA方式認知症予防教室がモデルとなった「折り梅」DVDを持参していたので、菊地さんと二人での観賞会となった。その映画は、菊地さんのご主人、他の方にも見て貰いたいと。
DVD観賞のあとには、ゲームの種目と効果、やり方をお教えした。ゲームの実践を体験したいとのことで、仮設住宅へ連絡を取られて、牧沢住宅で良いお返事をいただいた。
今回のリーダー(トレーナー)養成講座は、受講者がスリーA方式のゲームを体験したことがない方だったために、いつもの養成講座のときとは少々違う形式になった。しかし認知症について、スリーA方式のゲーム、その効果、優しさのシャワーについてはお伝え出来た(菊地看護師自体の経験と実際で、ほぼ同じ意見だったことは大きなこと)ので、20日の実践でより良さを知っていただけると、寒くて雪がちらつく千厩を後にした。
20日、気仙沼では僻地の仮設住宅、牧沢へ。
自治会のお世話役Oさんが既に部屋を片付けて暖房を入れて待っていてくださった。菊地さんは千厩は雪で遅れるとの連絡。昨夜の峠を通った時の温度計はマイナス2度の表示がありあれからも雪が降ったのだろう。
ゲームの参加者は、昨日の今日なので、少なくても仕方ないと覚悟をしていたが、順々に集まってくださったが出たり入ったりで、延べ10名。ゲームの種目の度に、やり方や効果を話しながらだった。
韓流ドラマがあるが、楽しいゲームのようなので…、と言う方。息子さんが付き添いながら…、の方。お茶のみにつられて…と言う方。クリスマスの準備を終えて…と言う方、などなど出たり入ったり人数不定のゲーム体験だったが、笑い声は絶えまなく、次はしっかりゲームだけしたいとお世話役の方が言う。
お昼過ぎには、菊地さんが「簡単なずんだもちの作り方」や「簡単テッシュ入れ製作」を住宅のみなさんに教えて喜ばれていた。仮設住宅への支援物資のNHK取材(4名)もあり、取材班とお茶をしたり賑やかな賑やかな20日だった。
・牧沢住宅お世話役Oさん
菊地さんは一足先に帰られて、Oさんが車を出して下さり宿まで送ってくださった。気が付いたら私たちはお昼は食べずにいたので、途中で簡単なランチ。
Oさんは八面六臂の大活躍! 仮設住宅では、朝から晩まで住民のお世話をされている。ランチを食べながら、色々なお話を傾聴。Oさんの話は次の機会に書ければ是非書きたい。
…途中でボラ宿主人から「帰りが遅いが大丈夫か?」と電話が入る…心配してくれて申し訳ないが、嬉しい電話。
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21日
・切通仮設住宅のみなさん
いつも気仙沼ではスリーAゲームのコーディネートをしてくださる村上さんと、切通住宅でお呼ばれした。冬至ということで、カボチャ粥を振舞ってくださった。筑前汁、大根と烏賊の煮つけ、漬物も美味しかった。
「カボチャ粥は沢山炊いたからお代りは三杯してください」って大きな茶わんで、ちょっと無理したが頂いた。
切通住宅の方とは初対面なので、スリーA方式認知症予防とゲームの話しをすると、「私たちのところに、まだ来てくれていない」と拗ねたように仰ってくれた。「道具は持参したので、ご都合さえ良いのならば、やらせて下さい」と申し出ましたら、全員の参加でたっぷりの時間をつかって大笑いの楽しい時間でした。最後の締めは…とカラオケの歌に合わせながらの総踊り。
・地震21日午後五時半ごろ
南最知住宅にイルミネーションを届ける村上さんに同行中、住宅談話室前で、ぐらぐらっと揺れた。即座に気がつかれたのは、住宅自治会会長さん、空を見上げて「あら?」…空ではなく電線が揺れるのに気がついた!
地震を心配してボラ宿主人が携帯で「大丈夫か?地震があったが〜」名古屋の友人からもメールで確認してくれた。みなさんの心遣いが嬉しい!
・五右衛門が原運動場仮設住宅Nさん
女性の自治会長さん、とてもはきはき気持のよい態度のおしゃれな方。そこの住宅は170所帯の大所帯で、支援品が揃わずになかなか入らないと嘆く。そして、纏めるのが難しくてもう疲れたとも。
・ジャパンハート医師・吉岡春菜ドクター
http://www.japanheart.org/index.html
ジャパンハートのホームページ
心に笑顔が生まれる、未来が始まる
吉岡秀人率いる
途上国の子どもたちを救う国際医療団
東日本大震災看護師・医師派遣
村上さんと同行中に、ミャンマーから一時帰宅の認定NPO法人ジャパンハート こども・内科クリニック医師の吉岡春菜先生と会食が決まった。私もご一緒することになり、ジャパンハート看護師のFさんと再会も出来た。
春菜先生はミャンマーにはご主人の吉岡秀人(外科医)ジャパンハート院長、小学生と年長の子供をお母様に託して、石巻の仮設病院に来られている。正月の7日にミャンマーに戻ると。スリーAゲームのテキストやお手玉を石巻にお贈りすることにした。ミャンマーの子どもたちのお土産にすると。
私が京都から来た、宇治に本部があることを告げると、「私、高槻出身で、保育園の時に八幡の男山から来ていた先生が素敵な方でした!」って驚き。またスタッフのMさんは「茨木出身で、宇治の病院に5年間勤めていました!」
吉岡秀人・春菜ご夫妻の「途上国の子どもたちを救う国際医療団」は、その時には詳しくは知らずに、お話もあまり出来ず終いだったが、HPでの情報では素晴らしいお仕事に携わっておられていて、もっとしっかりと話しをお聴きしたかったと残念無念!きっといつかまたお話ししたい。
・臨床心理士・シニア産業カウンセラー北村雅子先生
仮設でのカウンセラーをされている。北村先生も素晴らしい活動をなさっている。スリーA活動も、「これからはこの認知症予防って大切!こんな活動があるのね〜」と感動されていた。
F看護師
ジャパンハートの一員で、ミャンマーにも半年研修に行かれてその様子を聞いた。現在は石巻で活躍されている。
食事の前に、スリーA方式のゲームを皆でやってみた。1~10、1・2・3〜、グーパー体操。出来ない!と言いながら楽しく笑ってくれた。
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22日
七半沢仮設住宅のボラ宿熊谷さんの同級生・漁師
3・11当日、自宅は海抜10m。帰宅して津波が来ることを知ったAさんは、家族に声をかけることなく、持ち船の避難を考えた。妻の「船と命とどちらが大切なの?」の声を背中で聞いた。しかし返事もせずに船に乗り込み、沖に出た。出る途中に見たこともない真っ黒な津波を目撃、一心に沖を目指した。船は残ったが、津波がひいた後に直ぐには自宅へは戻れなかった。海岸は火の手があがり、近づけなかった。陸に戻れたのは二日後…海抜10mの自宅は家族もろとも消えていた。背中で聞いた妻の声に「早く逃げろ」とどうして応えられなかったのか、悔む毎日と。お宅には4つの位牌と写真が飾られたまま。お線香をあげさせてもらった。
仮設住宅のみなさん(ボラ宿の熊谷さんが自治会長に声をかけ、開催の運びになった)
10名の方が集まってくださった。自治会長さんは、病院に薬をもらいに行っていて不在だったが、ゲームの途中で茶々を入れる方、笑いが止まらずゲームがストップしたり、など愉快な住宅だった。おぢゃっこには、美味しいおこうこが出て沢山つまんだ。
ボラ宿熊谷さん実家
遠くの娘に送るための餅つきをしていて、大きな甘い黒ゴマ・きなこ餅を5個も頂いた!
お茶を頂きながら、熊谷さんの義理のお姉さんが、今日はどんな話をしたのか?と認知症について関心があるようなのでスリーAのことを話した。周りの家族が大事にすれば良いんだよね?と。その方はとても訛りがきつくて、聴きとれにくかったが、理解した風を装っていたので、帰宅後熊谷さんから「福井さん、姉の話の内容は解ったのか?」と痛いところをつかれた。正直に、話が好きな方のようだったので、いちいち話しの途中で聞き返すのも失礼かと頷いていたと。大笑いをされたが、やはり失礼だったかと反省しきり。
・ボラ宿宿泊のTさんMさん
若い女性二人のボランティアをしていて知り合ったと。NPO活動内容認知症予防ネットを話すと、Mさん「私、つい最近ヘルパーの資格を取り、その実習にグループホームに行きました。一日目は認知症の方との交流が出来たのですが、二日目はぎくしゃくしてしまい落ち込みました」
早速パンフレットと機関紙を渡して、説明した。彼女たちのボランティア活動は、毎月一回は東京から来ている。ボランティア協会に登録している。いつもはボランティア仲間とワゴン車で高速道路を走ってくるが、今回はちょっと豪勢に夜行バスで来て新幹線で帰りたい。素敵な女性たちでした。
南郷地区世話役Iさん、Mさん(再登場)
先生に話があるんだけど…(先生って私のこと^^;;)夕食後に来ても良いか?
二人で深刻な話かと待ち構えていたら、世間話が多くて切り出しにくいのか、最後に「今日は10人ほどの会合だった、こんな時にあのゲームが出来れば良いんだな〜と考えたが、やり方が全く解らないんだ、もう一度教えてほしい」…タイムリミットだったので、テキストと名刺をお渡しして、次に来る時には、きちんとお教えする約束をした。
自分たちでスリーAゲームを常にやりたいとの思いは、私に希望と勇気がもてる嬉しいことで、今回の最後の夜は寒かったが、心はとっても温かかった。
いつもの調子で読みにくい報告ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ東日本大震災の被災地への春は遠い日々ですが、出会った方々への小さな小さな灯にでもなればと通った、気仙沼市へ今年の被災地訪問最後の報告となりました。
運営委員 福井恵子
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