村づくり協議会などは組織でしょうか?
家族は組織ではない・・・か?
組織のものの考えを基準とするから 協議会の中の人がうまくまわらないのか・・・

先日 村の女性の方と立ち話をしました。
その方は音楽が好きな方なので 話題の ひととひとの事を音楽にはめて
話をしました。

「どうして嫌味を込めて話しをするのかね〜」

「そうですよねー それをするから 変なものがのこるのよねー」

「嫁と姑って世界共通の話らしいですよ それと同じとおもいません?
 繰り返してたらいつまでも同じ問題の連続ですよ 自分が その立場になったとき
 変えることができるのに」

「音楽って感じるんですよねー 」

「そうそう 演歌が好きな人もいるし 童謡がすきなひとや オペラがすきなひとや
 人それぞれだもんね」

「自分の好みを強制はできないよねー」

「そうですよね ドレミファソラシドは交わらないですもんねー
 
 バラバラではっしたら 雑音だけど 調和したら ハモリになるんですから
 
 人は集まったっておんなじだよねー

 みんな考えは違うんだから

 我慢とか 合わせるとかではなく 協調すればいいんだよね、」

「だけどー 男にはわかんないねー」

なんて話して盛り上がりました。

感動・・・人は感じて 感じたら動く

言葉のやりとりでは 感動は生じない

聞き手も話しても 相手を信用していることが肝心で
それがないから 会話にならず 感動もしょいうじない・・・何が勝つかといえば
理論 話し上手 そして時に 威圧 権力 押し付け

そんなところに

そんな環境に 若者が定住すると思いますか?

よくプラス思考でひとの悪口はいわないという人や会がありますが
無理をしていたら それは 子供には伝わります。

以上
前回のブログがストレートだったので今日は遠まわしの内容になったみたいです。

和紡子