本来、性は豊かで、人と人とをつなぐ深いものであるはずです。
でも、それには、お互いの気持ちが大切なのは言うまでもありません。
お互いの気持ちが一致し、互いに慈しみあい、尊重し合える性的な行為は、
この上なく豊かで、幸せなものになるでしょう。

しかし、一歩間違えれば、性は「暴力」になります。
それも、身体的暴力や心理的暴力を上回る、非常に威力がある「暴力」に。

その「豊かで幸せな性」と、「暴力的な性」の境界線はどこにあるでしょう。
ひとつは、お互いの気持ちが一致しているかしていないか、です。
もしも、相手に性的な感情を抱いて、それを果たしたいと思うなら、
その気持ちを伝え、相手の気持ちの確認をしなければなりません。
目と目で見つめ合って、言葉なしで伝え合う、なんてことではなく、
お酒の勢いを借りて、とか、もののはずみに見せかけて、というのはもってのほかで、
しっかりと、言葉や文字や態度で、何度も確認しましょう。

もうひとつは、相手への思いやりです。
相手がどう感じているか、相手の気持ちを汲み取る努力を惜しまないこと。
この行為は、相手はどう感じるかな?
こんなことを言えば、相手は喜ぶかな?それとも傷つくかな?
「そんなこと分からない」ですね。
だからこそ、伝え合う ことがとても大切になってきます。

つまり、お互いの気持ちの一致と、相手への思いやりを欠くと、
性は「暴力」になります。

「性」には、コミュニケーションがもっとも重要だし、コミュニケーション力が問われます。
コミュニケーション力が乏しければ、相手も自分も傷つけることになります。
ですから、「性と人間関係」は密接な関係があるのです。

自分が望む相手と幸せな関係を築きたい、それは誰もが願うことではないでしょうか。
相手の幸せも、恐らく多くの人が望んでいることだと思います。
自分と相手のために、伝え合うこと、つまり、コミュニケーションを大切にして欲しいと思います。