地名の由来を調べるシリーズ(岩崎編)

今日は、養父市の岩崎(イワサイ)の歴史を調べてみました。 

岩崎は、大江村の北東、大江川支流岩崎川の流域山間に位置します。

 鎌倉時代には、大恵(おおえ)保の一村で国領であったと言われています。弘安8年(1285年)の但馬国大田文には、同保内に「岩崎村 四町二百七拾七歩〈地頭肥塚三郎入道蓮心〉」とあります。
 肥塚三郎は、大恵保の地頭で武蔵国の御家人とのことです。その没後一族七人で分領しましたが、岩崎の地頭はこの肥塚三郎の子息で、分領した一人であろうと言われています。

 江戸期から明治22年までは「岩崎村」と呼ばれ、出石藩領。慶長18年(1613年)〜元和5年(1619年)、和泉国岸和田藩領。

 明治22年からは伊佐村、昭和30年からは八鹿町の大字となりました。

 地名の由来については、よく分かりません。岩崎の方によると、「村には唯一の神様『山ノ神』があって、神の御座所を意味する岩境(いわさか)が転じて岩崎(いわさい)に変化したのでは?」などとおっしゃっていますが、本当のことはよく分からないとのこと。

また、1600年の中頃に集落のすべてが大火事で消失してしまい、村に現存する古文書には「村の記録、家系図、過去帳、総テガ消失セリ。コレヨリ改メテハジムル。」とあります。
 区内には多数の古墳が点在し、旧出石街道が集落を通っていたりしたことから、また先述のとおり出石藩の領地であり、出石に隣接したことから主要な地であったものと思われます。

 参考 : 兵庫県の地名ⅠⅡ(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店)
 岩崎絵地図(岩崎むらづくり委員会)