「ヴェルデ・リーガたより」第9号
発行:2009(平成21)年6月4日
●活動状況と今後の予定
平成21年度の総会も終わり、新しい体制で新年度を迎えることができました。ヴェルデ・リーガをより大きく育てるために、皆様のご協力をお願い致します。
「せせらぎ」とのジョイントコンサート(6月28日)も間近に迫ってきました。成功裏に終わることができるよう、残り少ない練習には全員参加しましょう。

(写真)宇宙ステーションから撮影した大阪湾の夜景—->
●ヴェルデサロン(団員の自由ページ)
・『私と音楽』
 バス 北枝 功
 音楽との出会いは比較的はっきりしている。学校の夏休みに帰宅した折、父のものらしいヴァイオリン2体が家にころがっているのを見つけ、学校の寮へ勝手に持ち帰ったことが契機となり、管弦楽団に入団したことである。
 それまでは触ったこともなかったヴァイオリン。楽団で練習するうちに少しずつ弾けるようになった。オーケストラのセカンドヴァイオリンの一員として「頭数そろえ」に役立つようになり、定期演奏会や小学校での巡回演奏などで音楽の面白さ、拍手を貰った時の嬉しさが音楽への関心を強めることになったようである。
 声を出して合唱の形で歌うのはヴェルデ・リーガに入ってからである。人が歌っているのを聞くと楽しんでいるように思うが、バスの場合、主メロディーとは少し異なった和音での別の音階であり、より多くの練習が必要のように思う。鍵盤を押さえれば正しい音が出るのとは異なりむずかしく、まだまだ楽しむところまでは行っていない。何とか早く楽しめるようになりたい。

(写真)長崎市稲佐山山頂より長崎市街を望む—>
・『私と音楽』
 アルト 中山婦美子
 「花」と「緑」のジョイントコンサート(6月28日)のリハーサル数日前、誘われるままに緑中へ見学に行って、そのまま「緑の絆」に手繰り寄せられたように入会しました。昭和一桁の戦乱期に生まれ育ちました。戦中戦後の学生時代、前半は閉鎖的な軍国教育で、音楽の階名もド・レ・ミではなく、ハ・ニ・ホ・ヘ・トでスタートした少女たちでした。
 終戦後、デモクラシーの開花ですべて一変しました。出身地熊本では、旧制第五高等学校が「ベートーベン第九」を合唱するのに女声がいないので、各女子高の合唱部に勧誘がありました。初めての混声合唱の符読み、難しいドイツ語に仮名をふり、必死の練習でした。演奏会は熊響のバックに国立音大からソリストを招いて開催され、心身ともに感激に震えました。
 学校の制度も変わり、新制大学・高校となり、コンサートやコンクールも盛んになりました。新制熊大のフライエクンストの一員として、青春時代をモーツアルトのレクイエムの他、ミサ曲で合唱の醍醐味を謳歌しました。

(写真)尾道市千光寺の枝垂れ桜—->
結婚で大阪へ。夫は海外出張が多く、家事一切を任され、無我夢中の生活でした。時代は高度成長期へと移り、家族一緒に海外赴任。北欧ノールウェーで4年余り暮らしました。冬は雪に閉ざされ、夏は白夜という未知の体験に遭遇。
 1970年大阪万博の年に帰国、宅地の開発途上のグリーンハイツに住居を定めました。当地には中学校もなく、子どもは多田中へ通学。そこで現在まで35年続いている「せせらぎコーラス」の母体となった創成期の多田中PTAコーラスに出会いました。当時多田中の教頭職だった東先生が熱心にご指導してくださいました。
 その後、東先生は緑台中学の校長となられ、PTAコーラス「ふらうえんこーる」を創られました。そこへ男性が加わったのが現在の「ヴェルデ・リーガ」。長い歳月の流れの中で、不思議な絆で結ばれていることに驚きと感謝でいっぱいです。高齢になっても歌う喜びを体験していますが、皆様の平均年齢を上昇させて申し訳なく思っています。どうかよろしくご指導くださいませね。