前半の講義ではまずそもそも民主主義とは何か、というところから話が始まり、講師が参加者に自分が民主主義者だと思う人に挙手させるという場面もありました。
私は民主主義信奉者ではなく、民主主義にも様々な問題があり、それを批判しながら幅広い視点を持って先を見据えた制度を構築していく必要がある、という考え方をとっていますが、この時は挙手しました。
なぜなら他の主義や政治システムもその利点と問題を併せ持っており、歴史的にも今は民主主義に変わる有効なもの、代替案がないという点と、皆が自分の頭で考えて、それを表現し、話し合って、制度を変えていくやり方が大きな目で見て、民度や人材の底上げになり、社会の発展につながるという考えを持っているので、まあどちらかといえば民主主義者だろうな、と思い手をあげた次第です。
そこから「市民」とは何か、という話にうつり、トクブィルTocquevilleの「臣民」と「市民」の話等が出ました。簡単に要約すると、自分のことは自分で決めて、自分と公を切り離さずに、社会の利益を自分の利益のように考えているのが「市民」で、社会に対し帰属意識はなく、改善しようとしないが、何か自分に危機がおきれば国が助けてくれることを期待し、普段は小役人にペコペコし服従しているが、支配されている力が弱まると、法律さえ破るようになるのが「臣民」です。トクビィルはフランス人ですが、当時のフランス人は臣民である、と批判しています。今の日本人は市民でしょうか、臣民でしょうか、それとも第三の民でしょうか。
その後に市民社会の定義の変化に話が移りました。古代においては市民社会は国家と同義語でした。近代において市民社会は社会マイナス国家で経済+αでした。現代においてはさらに社会から国家と経済を引いたものになって、時代と共にスリムになっています。
最後に講義の意義とまとめとしては、やはり「市民」にしろ「民主主義」にしろその言葉をしっかりと使われ方や意味の変化を歴史を学び、知ることが大事だということと、市民や市民社会という言葉を現代において、どういう意味付け発展させていくのかという話になり、後半の市民社会をテーマに各論について話し合うセッションに移ります。