1970年代に入り、進学率(高校)は90%を越え、不登校と強い関連性がある長期欠席率(以下長欠率)は過去最低となります。
こうして神聖“学校神話”帝国はその興隆を極めることとなるのです。
一部教育者や精神科医の定説で受験勉強や学歴主義に疲れて長欠率が増えたのではないか、という考え方があるそうですが、少なくともこの頃までは、進学率が増えるにつれ、長欠率が下がっているので、逆の結果がでています。
講師によると、精神科医等は実際に競争に疲れてへとへとになった子供を多く患者として見ているので、体感からそういう結論がでたのではないかとのことです。
ただし“受験勉強競争”が全く不登校と関係ないかといえば、そうとも言い切れません。多くの場合学歴主義に最初に影響を受けるのは親、又は保護者だと考えられます。
例えば一つの図式として考えられるのは、もし部分的に客観的、或いは非客観的であっても、受験の競争の勝者にならないと幸せになれないという考えが一般的であると仮定して、親や保護者は自分の意思というよりは、自身の育ってきた環境や外からの情報により、心の平安をかき乱され、追い立てられるように子供を勉強にせき立て、そしていうことを聞かないので、イライラしてまた不安をかきたてられ、子供を急かし……、という行動をとるとします。
そうすると子供の方は、勉強をする意義に疑問を感じているので、親に急きたてられると、反発し、不条理さに怒りを覚えますが、親に嫌われて喜ぶ子供は通常いないので、親の“いうことをきけない”自分を責めますが、なぜ勉強しなくてはいけないか納得出来ないので、いうことを聞いて勉強しても、エネルギーの使用効率が悪いので結果がでにくく、今度は“駄目な自分”を責め、疲れ果ててエネルギーとやる気が枯渇していき、またせかされ……。
この様に負のスパイラルが出来てしまうと、当事者は無自覚の内にこのサイクルを繰り返し、本人たちの意思と関係なくそのサイクルが自己生産され増強されて不登校につながっていくかもしれません。
さて話は戻りまして、70年代までは蜜月関係を続けてきた進学率と長欠率は75年を過ぎた辺りから、その関係を変化させていきます。