教育についてーつれづれなるままに… *6* まず下位より始めよ

さて前回までは主に世の中を生きぬく能力と教育の関係に焦点を当てつれづれなるままに考察をしてきました。従ってどうしても社会や地域とその変化に対する個人という図式を無視しては話が進められなかったのですが、個人的には社会がどうあろうと人として大切なものもあるだろうという思いがあります。

 その一つが考える姿勢です。

 それは例えば「なんでこうなるのだろう?」、「この人は何を言っているのだろう?」、「私はなぜこう考えるのだろう?」等の問いをもち自分の頭で考えてみる姿勢です。

 基礎学力にしても、ただ世の中を生き抜くための一つの道具としてとらえるよりも考えるための素地と見る方が私の心情により近いと言えます。

 社会を生き抜くために必要な能力として「考える力」をもつ必要がある、という考え方に対しては違和感があります。本来は「考える力」を目的にして、手法として勉強法があり、その副産物として知識がつき、結果として世の中を生きるための一助となればいい位のスタンスで伝えていく方が良いかと思います。

 例えば確かにいわゆる“お勉強”においても「考える力」は有効ですが、♪そんなーもーのの♪ためだけにあるのではなく、人として生きるために「考える力」はあるのだと思います。※全くの個人的見解です。

 正直に言うと「考える」ということは社会を“うまく”生きる上では邪魔になる時もあるかもしれません。

 ただ一方「考えること」は他人と関係を築いたり社会生活を送る上で必要不可欠な面もあります。考えるために外からの情報が必要でそのためには人の話をしっかりと聴くことが大切になり、そのことはその人と良い関係を築くことの基本だと思います。もちろん話の内容と同時にその人の気持ちもしっかりと聴ければより良いと言えますが、まずはその人が何を言いたいのかしっかりと聴く姿勢が大事ではないかと思います。

 このことについて、心理学者の中では反論があり、例えばコミュニケーションにおいては表情やジェスチェーなどの非言語的な内容の方が話の内容よりも影響を与えると言っている人もいます。話し方や聴く態度等の非言語的な内容も大事ではあるが、それも話の内容があってのことで、ゆえに内容の方が第一義である、というのが私の意見です。ただし話を聴く場合は向こうが話さないと内容もわからないので、話しやすい雰囲気を作り、そしてしっかりと話をしっかりと聴いて考え、その内容に基づいて自分の意見や見解を述べていけば、最初に話した方もそれを聴いて考えまた話していくという風にして会話が成り立っていくと思います。

 もちろん実際のコミュニケーションの中には非言語的な要素の方が比重が高いケース(喧嘩など)もありますが、それを通して相手と良い関係を気づくために大事なのは(話をする場合も)、相手に寄り添う姿勢であったり、その基となる相手に対する思いやりの気持ち、ということになります。

 つまり社会がどうあれ人として大事になってくるのは考える力と思いやりの気持ちだろうということになってきますが、もちろん社会から影響を受けることは避けがたく、また社会に影響を与えるためにも必要な要素でもある点からみて、考える力と思いやりの心は社会とも相互作用の関係性もあるかと思います。ただ考えるという行為は社会がどうこうとか、他者がこう言うからというよりも、個々人の興味や好奇心によって自然に起こる面もあるように見えます。

考えるということは誰にでも出来ます。例としては私の様に才なく徳なく、ろくでもないななでもない者でも考えて発言することは可能です。このブログを書いていると、私の様な力のない塵芥の様な人間が意見を述べることによって、世に棲む隠れた凄い素質を持っているが引っ込み思案な人たちが「あんな奴よりも俺、私の方がもっと出来る。」と思って、積極的に意見を述べる様になれば良いのにという思いが湧いてきます。

 話を少し教育の方に戻すと、時々、自分には経験や実績がないので意見を言う資格はない、という発言を耳にします。意見を言いたくない人はいると思いますが、意見を言う資格がない人は世の中に一人もいないと思います。もし経験がないと意見が言ってはいけないなら、子供たちや内向的な人間は意見を言いにくくなり、経験豊かな人の話を聞くだけの存在になります。そういう状況は、例えそれで社会がまわろうがまわるまいが、私は望ましいと思えません。

 話は変わって、昔中国の燕という国で、燕の昭王が良い人材を集めるにはどうしたら良いか、郭隗先生という人に尋ねました。郭隗さんは、

「この私は屑野郎ですが、こんな屑野郎に高い評価を与え厚遇すれば、『あんな屑野郎が評価されるんだったら、わしやったらもっといけるんちゃうか。』と世界中から人が蟻のように群がってきて、優秀な人材も集まるでっしゃろ。燕を南の斉の脅威から守り、安全な地帯にするためにはまずI Love Youから始めよう…いや、まず隗からはじめてはどうかな。うっしっし。ハウマッチ」

 と言ったとか言わないとか。そして隗先生の言う通りにすると、果して燕には各地から人材が集まり、その中には諸葛孔明もリスペクトしてやまない稀代の名将楽穀もいました。ちなみに軍略の面では孔明は楽毅の足元にも及ばないかもしれません。

 私には燕の昭王の様な後ろ盾も無く、誰からも高く評価されることもなく、能力も隗先生よりも遥かに下位でしょうが、声をあげていき、隠れ声をひそめている優れた人たちと共により良い社会を創っていければ、最高で〜す( ´ ▽ ` )ノ 

 全て上手くいっている時よりも、どん底にいる時の方がよくものが見え、考えられるということもあるかと思います。例え調子が良い時でも、どんなに高い地位にいても、経済的に恵まれていても、常に自分はどん底にいるという感覚を持ち、まず下位からはじめよう。