さて今回は、実際の関係者を招いて行われた前回の「WWViews in Japan」の検証のための第25回学びのデザイン研修会に参加して思ったこと、考えさせられたことを書いていきます。「WWViews in Japan」の概要は前の記事に書いてあるので、照らし合わせて読んでいただくと分かりやすいかと思います。
まず最初に言っておかねばならないのは、私は原則として国や社会の重大事案や政策決定においてもこれからは市民が主体的に意見を述べたり、関わることは重要である、という考えを持っているということです。ただそのやり方には気をつける必要がありそうです。
研修会の中でも話題になったのが、主催者の会議に参加させるための“市民”の選抜方法です。その環境会議では専門家、利害関係者をあらかじめ除外して選抜を行ったのですが、このことはいろんな意味で私には興味深く感じられます。
まず利害関係者でないということは、そのことに対しては普段あまり興味がないという可能性が高まります。例えば私は魚の相場についてはあまり知りません。魚は好きですが、強い、直接の利害関係者(魚屋等)ではないからです。もし私が回転寿司屋の経営者(利害関係者)なら、その必要から魚に関する知識は今と比べて大きな違いがでるでしょう。
専門家はもちろんその分野の知識は豊富で、なおかつその発言には社会的影響力を持ちます。
これらの人を除いた“一般人”に、“主催者側”から事前に環境問題について“細かい”資料が配られ、“映像を使った”大まかな説明が行われたそうです。もちろん主催者はデンマークの人なので、全部和訳され、実際は日本の実行委員の方によって行われたわけですが。
結論から先に言うと、この会議は主催者のデンマークの出した情報に参加者が左右されやすい状況で行われた可能性が高いとの見方が出来ます。そういう状況にするため主催者が戦略的に枠組みを作った、と断定まではしませんが…
ここで大事なことは、環境問題に関わらず、専門家や利害関係者を除いた人々である事柄に関する会議を行うと、一見皆中立的な立場からものを言え、多彩な意見が出てくるように思いがちですが、実際は運用の仕方によっては情報源である主催者の意思が非常に影響を与えることがあるということです。(注:あくまで可能性の話です)
さらに言えば今回は短時間で会議するには項目とそれに関する情報量が多かったそうです。これもねらってやったんじゃないかと、私などは思ってしまうのですが(つまり個々人がゆっくり考え、議論する時間を与えず、より主催者が出した情報に対する依存度を高めるため)。
この会議の結論は、それは各グループが出した提言の中から参加者皆で投票して選ぶということでしたが、各グループの提言セッションではプレゼンテーションはなく、各人他のグループの提言を全て見る時間はなく、内容よりも雰囲気の良い言葉が目を引く傾向は否めなかったそうです。
さてこのイベントが終わってからアンケートを取ったそうですが、その内の二割位はその結果が不満で、その理由は提言に具体性がないというものでした。
特に日本の会議では各グループとも具体的な政策について決めていく、というよりも、「皆で頑張っていこー(^o^)/」みたいな感じの提言(?)が多かったと参加されたファシリテーターの方もおっしゃっていました。
しかし逆に見ると結果的に主催者側の希望にそわない姿勢を示したという解釈もできます。もし運営方法や実施手段をかんがみて、不当な会議であると判断すれば、あえて何も具体的なことを決めないという戦術もなくもないかもしれない。戦略的であるならば、ですが。少なくとも牛歩戦術よりはレベル2〜3は上でしょう。
その意味ではもし主催者に何らかの政治的意図があった場合、他の国ではそれにのせられて、数値目標などより具体的な政策提言を(気付かぬ間に誘導されて)作ったことと比べれば、日本人はそれを感じとり、わざと毒にも薬にもならないことを提言として出したということは、日本人のみ英知を世界を知らしめたといえるのではないでしょうか。(注:あくまで仮定上、もしくは一般的な話であって、この会議がそうであったとは一言も断定していませんぜ。)
ここで断っておきますが、私自身は温暖化ガス削減することに関しては基本的には賛成ですし、日本がリーダーシップを持って他を巻込んで引っ張っていくことは、(戦略的にやれば)国際的な地位を高め、環境問題は金融や公共投資にも関わってくるので、経済的な意味での国益にもつながります。
ただ今回は温暖化やロボコップ2、いやcop15について語るのが主目的ではないのでそれにはあまり突っこまずに、むしろ市民が政策提言などを行う際により正当性があり、妥当で効率的、効果的なプロセスと結果を生むためにはどのような方法が望ましいのか、このデンマーク発のWWViews in japan を一つのモデル、そして反面教師にして、次の機会に考えていきたいと思います。