丹波市青垣町遠阪地区は、熊野神社のはだかまつりで有名です。はだかまつりは、命の神様を祭る熊野神社に祈願して病が全快すると、元気になったあらわしとして、例祭の時に裸になってぶつかり合ったことが起源とされる行事です。この秋一番の寒波が襲った3日、はだかまつりに出かけました。まず、全校20名弱の小学生と幼稚園児によるはだか相撲。オガクズの土俵で、1対1、勝ち抜き戦が行われました。家族や近所の人たちによる声援が飛びかいます。
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次は、大人のはだかまつりです。約30名の大人と10名弱の子どもが、舞堂と呼ばれる小屋で、掛け声とともに”おしくらまんじゅう”のように背中をすりあわせたあと、外に飛びだして石段を登り、拝殿にお参りし、また舞堂に帰ってきます。これを7回繰り返します。

そのあと、拝殿の内部にいた神主、袴姿の世話役、礼服姿の区の役員が石段を下り、御幣をもった人を先頭に舞堂を回ります。うしろには、裸衆がついて回り、なぜか前を行く役員たちをからかいます。

舞堂を3回半回ったあと、御幣をもった袴姿の人が舞堂を突っ切り、拝殿に向かって石段を駆け上がります。それを裸衆が追い、御幣を折ったり、奪おうとします。しばらく、拝殿の前でバトルが繰り広げられ、それぞれが腰に巻いたサラシに御幣を入れます。これによって、また1年、健康に過ごせると言われています。

このあと、舞堂の横の広場で、餅まきが行われます。この頃になると、参拝客は数百人に増え、屋台から蒔かれる餅を拾うというより、奪い合います。餅の中には、ハズレなしの景品引換券が入っているからです。ちなみに景品は、ラップ、ティッシュ箱、たこ焼き、たい焼きなど。餅を5つ拾い、ティッシュ箱を5ついただきました。

かつては、但馬など周辺地域から多くの参拝客を集めたはだかまつりも、日本の他の地域と同様に、昭和40年代以降は、地区の皆さんを中心にした、こぢんまりとしたものになったようです。しかし、見せるためでも、よその人のためでもない、自分たちの地域に伝えられてきたまつりを楽しんでいる様子がうかがえました。

遠阪地区で進めている「ふるさと自立計画」づくりは、このまつりに象徴されるように、観光開発や大規模な集客ではなく、遠阪の良さを理解してもらえる特定の都市住民との交流なども進めながら、地域の魅力を再発見し、創造しながら、次世代に伝えていく。そんな計画になるのでは?との予感がしています。(Y)