広報専門員と歩く明延のまち 〜昭和の時代にタイムスリップ〜

兵庫県の広報番組「週刊ひょうご夢情報」の取材、後編をお届けしましょう。(%星%) (一円電車を紹介した前編はこちら

兵庫県の広報専門員のおねえさんと明延のまちを歩きます。この通りは明延の“銀座通り”です。(%ニヤ女%)(%ニヤ男%)(%ニヤ女%)
レトロな看板のたばこやさんや百貨店(?)の看板がたっていたりします。いっときは4000を超える人が住んでいましたから、この通りもさぞかしにぎやかだったのでしょうね・・・。

ところどころ、取材クルーが立ち止まりカメラをまわしています。(%ニコ男%)

おや、吉田専門員さんがなにか発見したようですね。
こちらは「ちょっと夢加誌」といって貴重な鉱石や、明延鉱山の写真なんかを展示されています。ふつうのおうちなんですが、ガレージをギャラリーとして開放されていて自由に見学できますよ。(%ひよこ%)

こちらはH19に経済産業省から「日本近代化産業遺産」に認定された「第一浴場」です。(%王冠%)
こちらもレトロな香りがしますよ。
鉱山で働く人のために、まちには6つの公衆浴場がありました。それでも夕刻時などは、まさしく芋のこを洗うような感じだったそうです。
昭和62年に閉山、人はどんどん減り続け、貴重な建物も取り壊されていきました。(%ショボ男%)(%ショボ女%)(%ショボ女%)こちらの第一浴場も壊される直前に、地元の方の運動によって保存されることになったのです。(%ニコ男%)(%ニコ女%)(%ニコ女%)
普段は鍵がかかっていますが、まつりなどのイベント時には開放し、写真や昔の小物なんかを公開していますよ。(%王冠%)

カメラマンさんが撮ってるのは山の上、大仙選鉱場の跡です。地中奥深く(坑道の総延長はなんと650km(%ショック男%))で採掘された鉱石は、選鉱場にあった中央エレベーターやインクライン(巻き上げ機)を使っていったんこちらに集められ、こぶし代程度に粗砕し、神子畑の選鉱場まで鉄道で運ばれました。この鉄道が明神鉄道(一円電車)ですね。 (%ニコ男%)(%ニコ女%)

近くに流れる川の水が聞こえるのみであたりは静寂です。鉱山が操業していた頃は、さぞかし大きな音をたてて、騒がしかったのでしょうね・・・。(%ショボ女%)(%ショボ女%)

最後にまちの全景を、ということで自然学校の屋上にあがって撮影。
また、雨上がりで、屋根が・・・。つるっといきそうで、へっぴり腰で歩きました。(%ニヤ男%)

あっという間に3時間ほど経過、無事に撮影は終了しました。いやー、撮影のロケに立ち会うなんていい体験になりました。(%笑う男%)

さて、こちらの明延のほかに、後川(篠山市)、大芋(篠山市)も「地域再生大作戦」として紹介されていますサンTV「週刊ひょうご夢情報」。昨日のお昼に放送されましたが、みなさんご覧頂きました?

見逃した方もご安心を。本日(3/7)18:30から再放送されます。

くろ