大切なのはどう生まれたかではなくどう生きるか①

もう数カ月前になります。
ある不登校・ひきこもりの親の会の講演会に
参加させていただき、発達障がいの当事者の会の
代表をされている方のお話を伺う機会がありました。

松尾はその方と以前にも面識があり、
数回、その当事者の会に参加させて頂いたことが
あります。
会に入会するか考えた時期もあったのですが、
けっきょく頓挫のような形になってしまい、
その代表の方とも連絡がとだえてしまいました。

その方(女性のかたです)は
聡明なのですが、とてもやさしいご性格の方で
仲間からもとっても厚い信頼を得られている方でした。
(松尾も当時、信頼のような想いを持っていました。)

その方はいつも松尾に「当事者が声を上げないと」と。
そうしないと社会を変えていくことは出来ないと
おっしゃってくださいます。
松尾がネット上に名前も顔も出している理由のひとつは
彼女にあるのかもしれません。

今回も彼女と一緒に活動するチャンスはあったと思うのですが、
けっきょく、また連絡をしそびれてしまいました…。
共に声を発していける『仲間』だと思えるのですが…。
今回のテーマで真剣に考えてみて、自分の意思で行動を
決定したいと思います。

『不登校・ひきこもりの大半は、何かしらの発達障がいの傾向を持つ』

あくまで松尾個人の考え方です。
この言葉をお聞きになって、みなさんはどうお感じになられますか…?
それでは、次回に続きますね。

(写真は、小浜まち協会館の前から
いつでも私たちを見守ってくれているかのように
そびえたつ大きな大きな木です。)