大切なのはどう生まれたかではなくどう生きるか②

発達障がい…ひと言ではくくれない様々な(多様な)
傾向(個性)があると思います。
そして年齢的な理由で、落ち着いてきたり、
二次的な病状で、その傾向が顕著になってきたり、
本当にいろいろな性質があり、ややこしさ、おもしろさ、
不思議さ、な(現時点での)人間性になるのだと思います。

それはあくまで途中の段階であり、年齢的な落ち着き、
病状の安定、ほか様々な要因で生きやすさが
出てくるのだと思います。(松尾がそうです。)

有名な症状には名称がついていますが、
(たとえば、アスペルガー症候群だとかAD/HD等)、
これだけではない、ほかにも本当にいろいろな傾向が
あって、21世紀でやっとその症状に名称がついたり
するのかなとか考えたりします。

こんなふうにおもしろがれるのは、ある意味、
空気読んでないじゃん、なのかもしれないし、
一風変わった変な奴なのかもしれませんね(^.^)
僕自身、いろんなベースがいくつもあって、
その中で体調が悪くなると、症状が出てきて、
生きづらくなることもあるのかなと感じています。

黒く生まれたから白く感じたい(目指す)ではなく
黒も白も灰色も面白味なのであり、その多様さが
この世の中を形造っているのであって、
けっきょく、”大切なこと”押さえているべきところを
押さえておけば、あとはどんなライフであっても
OKなのだと思っています。

こんなツギハギだらけの、人にご迷惑をかけっぱなしの
人生ではあるのですが、こう生まれてきた
(すべてが生まれついてきたものが理由ではないのですが)、
ではどう生きる、何か生きづらいものと上手く付き合いながら
生きていく、ツギを貼っていく、自分なりに。

そう考えることにしています。
僕は、前回の話に出た、発達障がいのセルフヘルプグループに
入るかもしれませんし、入らないかもしれません。
この先も宝塚の地で不登校・ひきこもりのセルフヘルプグループを
続けるかどうかもわかりません。

シチュエーションとかタイミングとかいろいろな要因が
あるかと思います。次を貼っていく人生というものを
僕なりに経験・体現していくのだと思います。
いろいろな傾向を抱えていても、体調さえ良ければ、
受動的ではなく、能動的になるのだと考えています☆

(一日に少しの間だけ、そっとやさしくなってくれる
本来の姿を見せてくれる、そんなライフって不幸なのでしょうか…?)