5年間ほど、ひきこもりの方の居場所運営に関わってきました。
その中で多くの方々と出会い、別れ、そして話し合っても来ました。
私の持っていた価値観は絶対だと過信していた時期も
ありましたし、その絶対であるはずの価値観が、
緩んで、変化してゆく様を
感じることも出来ました。
もう、居場所は辞めてしまいましたが、
やっぱりやってよかったのだと振り返っています。
その中で、こうすればいいんじゃないかなあという
いい居場所の感じがつかめてきました。
それは、ある社会福祉協議会の職員さんとの会話や、
まち協役員さんの都の会話で培ったものなのだと思っています。
具体的にどういう事かというと、ゆったりと広いスペースを取った
居場所があります。そこでは、何をするのも自由です。
(もちろん、他の参加者さんに迷惑をかけないという条件はありますが。)
その中で、時々、スタッフを中心として話し合う「しゃべり場」が
行なわれる形なのですね。
今まで、居場所(松尾のしたいことは、しゃべり場型居場所ですね)
でのワーカーさん、ひとそれぞれの考え方を話し合ったり、
感じたりしてきました。
あくまで私の場合は家(ホーム)型よりもしゃべり場型居場所の方が
向いているのではと感じている節があります。
ですが、今は少しずつ変わってきているのでしょうか。
いろんな考え方があるのだと思います。
自分の価値観が絶対ではないはずですよね。
ここは私が今後の人生で目いっぱい成長しなければならない部分です。
今はまだ苦しみの中です。少しずつ治して行けたらと思います。
もうじき、私は新しい生活に入るかもしれません。
ひきこもりの方の居場所をするのは、しばらくないと思っています。
その間にしっかりと成長して、するのであれば、
しっかりとした「居場所」を出来たらと思うのですね。
これからこのブログは変化してゆきます。
なぜかというと私はしばらくの間、ひきこもりの方の「居場所」
をする気がないからです。するのであれば、
徐々に少しずつ自分自身を成長させて
居場所を出来たらと思うのですね。
私自身、弱くて、情けなくて、くだらない部分を多くも持った、
最低な人間です。(これなら有給でひきこもり支援スタッフは
出来ないのかもしれませんね=本気でそう感じられないのが
私の弱さですが…。)
「コミュニティケア」
私はこの言葉に希望を持っています。
世の中には厳しい部分が沢山あります。
ですが、皆、地域で生きるべきだと思うのですね。
私の家の向いとなりは、知的の障がいを持たれた方々が
住んでらっしゃるホームです。普通の一軒家の中で、美味しいごはんや
お菓子を食べたり、テレビを観られたりされているのでしょうね。
私はこのように普通の地域が好きだと本気で好きだと心から
思える人間になりたいのです。話がずれてしまいましたが、
私は昨年からいろんな経験をしました。
それは仕方がなかったのだと思っています。
ですが、この気持ちの弱さ・情けなさです。前は書けたいろんな文章を
書きたいという欲求も相当強くあります。
ここでいつも悩んでいる私を明るく包んでくださる方が数名います。
特に則孝兄さん、あなたです。あなたを心から信頼しています。
私はおもしろいストーリーや文章が書きたいのです。
23歳の頃は書けたのです。
何だか、わけのわからない文章になってしまいましたが、
これは本音の本音の部分です。
——最後に。最近、ある方と不思議な感じで話し合ったりふざけあったり、
時にはケンカしたりします。彼(と)(実はもう一名=彼女もいるのですが)なら、
うまい居場所運営が出来そうなんですね。
できたら、手伝ってほしいですね、なんて、幻聴(?)相手に気持ちを
持って行っています。
(たとえ、幻聴であっても)、彼(と彼女)はいい奴だと
私は信じてゆきたいのですね。
「ルート〜みちの途中〜」をこんな感じで終わらせるのは、
何だかもったいなさすぎだとも感じるのですね。
これも私の弱さですが。