豚汁のルーツを九州南方に求める

豚汁のルーツを九州南方に求める

 では、本題の豚汁に戻ろう。

 豚汁のルーツとして、一説に猪の肉を使った「牡丹鍋」とするものがある。先述の狸汁や鹿汁のように、肉食が禁止されてきた江戸時代にあっても、獣肉は人々のあいだで病人の養生や体力増進のための「薬喰い」と称し、ひそかに食されてきた。

猪の肉を「牡丹」、鹿の肉を「紅葉」と呼ぶようになったのは、世間をはばかってのことだ。

 江戸後期になると、「ももんじ屋」と呼ばれる、猪や鹿、兎、狸、猿などの獣肉を扱う店が登場する。こうした獣肉は鉄板で焼くほか、多くは肉の臭みを柔らげるため、味噌仕立ての鍋に調理された。

豚汁が受け入れられたベースに、こうした猪鍋や鹿鍋の存在があったことは確かだろう。

 だが、今回調べてみて、牡丹鍋よりもっと直接的なルーツとして浮かび上がってきた食べものがあった。それは「薩摩汁」だ。

 薩摩汁とは、鹿児島の郷土料理で、もともとは骨付きのままぶつ切りにした鶏肉を味噌で煮込んだものだ。闘鶏で負けた鶏をその場で調理した野営料理が始まりと言われている。

 江戸時代になって琉球から豚がもたらされると、豚肉も薩摩汁の具として用いられるようになった。ただ、豚肉が鶏肉に完全に取って代わられたわけではなく、鶏肉と豚肉とが併用されてきた。

 例えば、1894(明治27)年刊の『大捷利四季の惣菜』(久保田音次郎)には、<薩摩汁の拵(こしら)ひ方>として、材料に鶏肉、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、こんにゃく、銀杏の実が挙げられている。

 一方、1904(明治37)年刊の『副産養豚法』(小須賀一郎著、青木嵩山堂)では<豚の赤身を普通の太さに切りて大根、胡蘿蔔(筆者註:かぶら=ニンジンのこと)、筍、里芋等の種々の野菜を入れ混ぜて味噌汁で煮る>とある。

これなどは、ほとんど豚汁と言っていいくらいだ。

 先に述べた牡丹鍋が豚汁のルーツだとすると、豚汁に至るまでには2段階の変化が必要だろう。

第1に、猪肉から豚肉へという材料の変化。

第2に、数人でつつく鍋物料理から、個別の椀に盛った汁物料理へと道具も含めた食べ方の変化である。

そう考えると、単に鶏肉から豚肉へと材料が変わっただけの薩摩汁の方が、より豚汁のルーツに近いと考えるのが自然ではないだろうか。