結果を出すためのスタートライン

◇◆確かに適応力は要の要素ではある◆◇

何かに外れている、という状況は、
コミュニケーション力が乏しいとか
ハミ子(イジメ)状態にあるとか、
社会に柔軟性が無くなってきているとか言われることがあります。

ここで考えてみます。

世の中を嘆くのではなく、理解すること
今ある資源(インフラ・システム・社会の状態)で、
では自分はどうしていくのかを冷静に考え
動いていく—ムーブしていく、

社会は結果主義の合理主義になってきているが
もちろんそれが全てでは無い
はみ出す人間をどうしていくのか
それを考えれるのが人間という種族の持つ能力・可能性です。

松尾もはみ出している人間です。
発達障がいの傾向もあります。(医師の診断は受けてはいませんが。)
松尾だって、社会(職場とか学校とか)に合わせ、
業績・実績をあげないといけない
結果を出さないと上にはあがれない
人並みの生活レベルも得られない
結果を出さないと、はみ出されてしまう
(失職してしまうとか、職場から嫌がらせ・追い出しをくらうとか。)

今までの人生において(アルバイトや学生生活)、
職場でイジメらしき状況にあったり、
大学で一人でランチを取ったりした時もありました。

最近、イジメや不登校や障がいの特集記事を新聞で多く見かけます。
その中で、便所虫の記事とか、
不登校等に悩む大学生にたいするサポートの記事とかも
多くみられるのですね。

便所虫も不登校もはみ出し者ですよね
その人たちを「かれらはどうしてる?」という眼差しでの
報道が見られます。

人間の可能性は朽ち果ててはいないのだなあ
朽ち果てるはずがないのだなあと思うのですね。
はみ出し者をサポートする人たち
その支援状況を客観視しようとしているジャーナリズム
その報道ぶりを見て何かを感じる私たち市民

その関係性が新たなる可能性なのですね。
きっと新たなる生き方、仕事の仕方、
わたし(たち)はカテゴリーされるのだろうが、
決して否定的なカテゴライズではない
が始まったのではないでしょうか…?

※僕は、中村俊輔や香川真司、ブラジルのカカは
 適応能力の高い性格の持ち主だと思っています。
 ですが、かれらだけが人間ではありません。
 アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナ、
 ブルガリアのスーパースター、ストイチコフ…
 かれらは全員、英雄的なスター選手なのですが
 後者はたえず(性格が要因となって)問題を抱えていた選手でした。
 それなのに、人はなぜ、受け入れるのだろうと考えずにはいられません。
 かれらはスタープレイヤーだから??
 
 80年代より、90年代、21世紀をむかえ、
 さらに、2010年代の方が社会は成熟するでしょう。
 その中で私たちの本質的な人間性を社会というものを
 どう考えていくのか、どうしていくのかという機運が高まっていくでしょう。